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頭蓋骨抉る (会話 | 投稿記録)
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=== 関脇陥落~引退 ===
[[2013年]]1月場所は関脇の地位で10勝以上を挙げれば、1場所で大関特例復帰だった<ref>但し現行の特例復帰制度で、過去大関再昇進に成功した力士は僅か4人(その内[[三重ノ海剛司|三重ノ海]]はのちに横綱昇進、[[栃東大裕|栃東]]は2度返り咲き)のみである。</ref><ref>[http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nihiljapk/article/158 把瑠都降格に見る、大関復帰の高い難易度。]sportnavi PLUS 幕下相撲の知られざる世界 2012年11月16日閲覧</ref>。だが2日目の琴奨菊戦で早くも土、3日目の豪栄道戦も連敗するなど序盤から波に乗れず、10日目の日馬富士戦で5敗となり絶体絶命に。そして13日目の[[高安晃|高安]]戦でついに6敗目を喫したため、これで大関再昇進の夢特例復帰断たれてしまならなかった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/25/kiji/K20130125005057470.html 把瑠都 痛恨の6敗目…1場所での大関返り咲きならず]スポニチアネックス 2013年1月26日閲覧</ref>。千秋楽の[[勢翔太|勢]]戦は取り直しの末白星で終え、8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。ちなみに関脇陥落場所で大関復活ならずも勝ち越した力士は、[[1974年]]7月場所の[[大受久晃|大受]](9勝6敗)以来39年ぶり2人目のことだった。
 
翌3月場所も勝ち越したものの9勝6敗と1桁勝星だった。次の5月場所は3勝3敗で迎えた7日目、結果的に現役最後の取組となった稀勢の里戦で寄り倒しで敗れた際、古傷の左膝をまた痛めてしまい翌8日目から途中休場。結局再出場ならず<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20130519/sum13051909080003-n1.html 【大相撲】把瑠都が休場 左膝靭帯など損傷/夏場所]msn産経ニュース 2013年5月19日閲覧</ref>、翌7月場所は2009年7月場所以来平幕の地位(東前頭6枚目)へ転落となった<ref>元大関の平幕陥落者は、[[2002年]]3月場所の雅山以来昭和以降18人目となる。</ref>。しかしその7月場所も膝の怪我の回復が思わしくなく「左膝靭帯損傷で2週間の安静加療を要する」との診断書を提出、初日から休場<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/07/08/kiji/K20130708006171160.html 把瑠都、診断書を提出…全休なら十両陥落は決定的]スポニチアネックス 2013年7月8日閲覧</ref>。同場所は千秋楽まで全休したため、翌9月場所は十両(東3枚目)へ陥落。なお元大関で十両転落者は大受・雅山に続いて史上3人目となる<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20130706-1153035.html 把瑠都休場「膝が怖い」全休なら十両]日刊スポーツ 2013年7月6日閲覧</ref>。