「貴闘力忠茂」の版間の差分
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1994年以後、長らく三役から幕内上位に定着していたが、前頭2枚目として臨んだ[[1999年]]11月場所で2勝13敗と大幅に負け越すと、翌2000年1月場所でも前頭10枚目で6勝9敗と負け越し、[[2000年]]3月場所には幕尻の前頭14枚目まで落ちてしまった。すでに32歳であり、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は十両に落ちるだろうという見方をしていた。
ところが貴闘力は2000年3月場所が始まると初日からひとり12連勝を達成、優勝争いではトップで独走となった。その後、13日目に東2横綱・武蔵丸、14日目に西横綱・曙との対戦が急遽[[取組]]まれ<ref>この影響により、同2000年3月場所は曙-武蔵丸の[[割 (相撲)|割]]が壊され、両横綱の取組が消滅するという事態となった。</ref>、結果両横綱に敗れはしたものの、千秋楽になっても未だに優勝争いの単独トップに立っていた。そして、千秋楽において当時西関脇の[[雅山哲士|雅山]]を下し、結果13勝2敗で史上初の幕尻優勝を達成した。なお、当時貴闘力の年齢は32歳5か月で、さらに幕内初優勝まで初土俵から実に所要102場所もかかった<ref>のちに[[旭天鵬勝|旭天鵬]]が2012年5月場所に更新。</ref>。またこの場所3日目には西[[十両]]3枚目の[[水戸泉政人|水戸泉]]と対戦しており、十両力士との対戦のあった力士が幕内優勝を果たすのは[[1961年]]5月場所の[[佐田の山晋松|佐田の山]]以来のこととなった。
初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で男泣きしていた。それまで舅の[[大鵬幸喜|大鵬]]が残した偉大な功績と自身の功績を息子からも比較されて困っていたそうだが、この優勝により貴闘力は「ようやく子供に『どうだ、父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました」と大喜びだった。また義父の大鵬も「私の32回の優勝よりも、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しいことだ」と嬉し涙を流しながらコメントした。
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