|
|
== 歴史 ==
1946年8月、[[ヘラルドグループ]]創業者の[[古川為三郎]]によって、国際劇場として開館した。1953年の『全国映画館総覧』による座席数は466席、洋画・邦画の新作を上映していたが、1955年の『全国映画館総覧』では690席・[[東映]]系の映画館であり、1960年の『全国映画館録1960』では650席・[[東宝]]系の映画館である。1960年代後半には座席数が300席弱まで減らされ、1980年頃には一時的に洋画ロードショウ館となった。愛知県名古屋市に生まれ育った作家・[[野沢尚]](1960年 - 2004年)は、[[1971年]][[7月17日]]に封切られた[[岡本喜八]]監督の戦争映画『[[激動の昭和史 沖縄決戦]]』を父と一緒に見たという<ref>{{Cite web|url=http://nozawahisashi.blog.so-net.ne.jp/2007-01-22|title=おやじ、ありがとう|work=野沢コメント記事|publisher=野沢尚公式ブログ|date=2007-01-22|accessdate=2014-12-22}}</ref>。
[[1984年]]頃には木造一階建の建物を鉄筋コンクリート造二階建に建て替え、その1階に今池国際劇場が、2階には新規開館した[[ミニシアター]]の今池国際シネマが入った。1990年代前半には経営会社が今池土地建物株式会社から株式会社エフワン(代表:古川雅康<ref name="Tokyo">{{Cite web|url=http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1197956_1588.html|title=株式会社エフワン|work=倒産速報|date=2006-03-01|publisher=[[東京商工リサーチ]]|accessdate=2014-12-22}}</ref>)に移り、再び東宝系の映画館となった。同年代に上映した主なヒット作に『[[耳をすませば]]』『[[Shall We ダンス?]]』『[[もののけ姫]]』『[[ラヂオの時間]]』などがある<ref>{{Cite web|url=http://www.normanet.ne.jp/~meina/magonote/jimakueiga.html|title=いままで取り組んできた字幕付き映画|publisher=障害者情報ネットワークノーマネット|accessdate=2014-12-22}}</ref>。
[[2006年]][[2月27日]]には、運営会社のエフワンが[[民事再生法]]の適用を受けた<ref name="Tokyo"/>。同年8月20日付の新聞にて、今池国際劇場と今池国際シネマが営業停止となったことが報じられた。エフワンは今池で大規模娯楽施設を複数経営しており、同時にパチンコホール2店舗なども営業停止となった。劇場跡地には、[[2008年]][[12月26日]]にパチンコホール『[[キング観光]]サウザンド今池店』がグランドオープン<ref name="Janbari"/>し、現在に至る。
== 脚注 ==
|