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=== 過去 ===
カシオペア時代からヤマハ製のキーボードをメインに使用していて、代表的なユーザーのひとりである。しかし、[[1979年]]のデビュー時は、ヤマハ製のキーボードは向谷個人では持っておらず、ライブではアマチュア時代から使っていた[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]][[ローズ・ピアノ|ローズ・スーツケース・ピアノ]](73鍵式)と[[コルグ]]800DV([[1974年]]発売開始の[[アナログシンセサイザー]])、その二機種のみを使用していた。デビュー直後に[[ローランド]]から当時出たばかりのVP-330([[ヴォコーダー]])とPROMARS、ヤマハのCS20Mを購入して前述の二機種に加えて使うようになる。いわゆる[[フラッグシプ機|フラグシップモデル]]の類は持っていなかったが、レコーディングでは手持ちのキーボードに加えて、それらのキーボードもその都度レンタルで借り受けて使っていた。
 
[[1980年]]より他のメンバーと同様に本格的にヤマハからの支援を受け、ヤマハ製シンセサイザーのフラグシップモデルが貸与されるようになる(ほかにもヤマハが輸入元となっていた[[モーグ・シンセサイザー]]も貸与される)。また、[[デジタルシンセサイザー]]の先駆けである[[ヤマハ・DXシリーズ]]の開発も初期の頃から手掛けるようになり、そのシリーズ初の製品であるDX-7(DX-7の廉価版であるDX-9も)を発売前の段階からカシオペアのレコーディングとライブで使っていたことで、いち早く代表的なDX-7のプレーヤーともなった。プロ仕様ながらも比較的低価格だったDX-7はカシオペアをコピー演奏するアマチュア・キーボーディストにとってもマストアイテム的なものとなり、それに応えるかたちで、向谷が実際に使っていたDX-7用の音色データを専用ROMに収めたソフト「Voice ROM for DX-7 向谷実」が発売されていた。
 
DXシリーズに搭載されていた[[MIDI]]を駆使した複合的なキーボードサウンドを早期から積極的に導入していたことで、[[1980年代]]後半からはラック式の[[音源モジュール]]にマスターキーボードである[[ヤマハ・KXシリーズ]]のKX-88及びKX-76をつなぐ合理的なシステムが構築された。使用する音源モジュール類は、デジタルシンセサイザーの急速な進化とともに日々目まぐるしく変わっていったが、この二つのマスターキーボードは1980年代後半から[[1990年代]]後半まで十年以上にわたって向谷のフロントに置かれ続けたことにより、当時のカシオペアと向谷にとって[[アイコン]]になった。その後、[[1998年]]に出された[[ヤマハ・EXシリーズ]]、[[2001年]]に出された[[ヤマハ・MOTIFシリーズ]]を使うようになり、フロントのマスターキーボードとしても置かれたことにより、KX-88とKX-76は表舞台から去った。意外なことにはヤマハとは楽器使用に関しては専属契約を一度もしていないと言う。ヤマハ製のものが占めるようになってからも、自ら購入したVP-330は長年にわたって使い続け、国内外の他社製品もレコーディングおよびライブで使っていることを隠していない。