「伊藤律会見報道事件」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1950年]]([[昭和]]25年)[[9月27日]]朝日新聞朝刊は、朝日新聞社神戸支局の記者が、当時[[レッドパージ]]によって[[団体等規正令]]違反で逮捕状が出ていて地下に潜伏中だった[[日本共産党]]幹部の[[伊藤律]]と、[[宝塚市]]の山林で数分間の会見に成功したと掲載した。
 
会見模様として伊藤の表情が書かれ、記者との一問一答まで紹介されていた。また会見の状況として、記者は目隠しされた上で潜伏先のアジトまで案内されたと説明された。
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事件の結果、担当記者は退社、神戸支局長は依願退社、大阪本社編集局長は解任となった。担当記者はその後に[[占領目的阻害行為処罰令]]<!--当時は昭和21年勅令第311号。後に、昭和25年政令325号。-->違反で[[逮捕]]され、[[執行猶予]]付きの有罪[[判決 (日本法)|判決]]を受けた。担当記者は捏造の動機について特ダネを書こうという功名心からと述べた。
 
出稿前に[[朝日新聞大阪]]本社]]通信部のデスクから信憑性を疑う声が出たが、編集局長は現場の声に押されて掲載を決めた。[[朝日新聞東京]]本社]]ではさらに共産党担当記者から伊藤が[[インタビュー]]に応じる必然性がないなどの声が出たが、「大阪がそこまでがんばるなら」という声に押されて[[報道]]に踏み切った。
 
朝日新聞[[縮刷版]]では、この記事は非掲載となっており、該当箇所は白紙で、虚偽報道であったと「お断り」告知になっている<ref>当時の朝日新聞を収蔵している[[国立国会図書館]]では、新聞の[[マイクロフィルム]]や原本を所有しており、請求すれば閲覧や複写が可能である。</ref>。