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ふうりん (会話 | 投稿記録)
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*[[1960年]](昭和35年)[[6月22日]]、[[ベルリン国際映画祭]]に出席のため、日活の[[堀久作]]社長らと共に[[ドイツ]]の[[ベルリン]]へ出発。同[[7月14日]]、日本に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なドイツ訪問となった。
*女優の[[岸田今日子]]、[[冨士眞奈美]]と親しく<ref>岸田とは二度続けて[[清水邦夫]]の芝居に一緒に出た後、1984年暮れから1985年初にかけて一緒にインド旅行をして以来の親友。そのインド旅行は、案内人の[[山際素男]]が著した本『脳みそカレー味』に描かれている。その頃、冨士は結婚して家庭に入っていたが、後に離婚して、一緒に句会に参加して仲良くなった。</ref>、しばしば3人で座談会やテレビに出演。2000年には共著『ここはどこ』『わたしはだれ?』を出した。タレントの[[ピーコ]]とも親交が深く、ピーコが癌で入院した時には、毎日お見舞いに行っていた。ピーコが家族以外に癌であることを真っ先に知らせた人物でもある。
*『[[佐賀のがばいばあちゃん]]』では家事の達人を演じたが、『[[愛のエプロン]]』出演時に家には包丁がなく、御飯を炊くのも20年ぶりだ」と告白。料理上手な役が多いが、「それはあくまでドラマとかでの話ですから」と話している。
*料理の経験はほとんどなく、料理を作らなかったことが離婚の原因のひとつだと話している。自宅のキッチンは大金をかけて設備投資をしたが、キッチンが汚れるのが嫌いという理由から、普段は布をかけて使っていない<ref name=091002tv>2009年10月2日放送、TBS「ぴったんこカン・カン」より</ref>。
*かつて舞台で共演した[[蟹江敬三]]に好意を抱き、「普通は共演するとその人の嫌なところが見つかるものだが、蟹江さんは一つもいやなところがない素敵な人」と話した<ref name=091002tv/>。