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寺伝によれば、[[奈良時代]]の[[天平]]11年([[739年]])に[[行基]]を開山として醫王山'''薬王寺'''薬師院の号で[[法相宗]]の寺院として創建され、後に[[空海]]により宗派を[[真言宗]]、寺号を'''神宮寺'''に改められたという。
 
[[嵯峨天皇]]の時代に[[勅願寺]]となり、[[応長]]元年([[1311年]])には国内談議所の―つに定められ、[[13世紀]]後期から始まる'''増吽'''<ref>'''増吽'''(そううん)僧正は、多くの社寺を復興し「弘法大師の再来」として当時の人々が崇めた。1366年讃岐国大内郡西村に生誕、1424年59歳で[[道隆寺]]住職になる、1425年[[天皇寺 (坂出市)|摩尼珠院]]に転住、1427年摩尼珠院住職になる、1450年隠居、1452年87歳で遷化(武田和昭「増吽僧正」五岳・発行より)</ref>による中興の時代は[[後小松天皇]]より虚空蔵院の院号を下賜されて、1,000を越す末寺を有する[[讃岐国]]屈指の大寺院となった。
 
[[安土桃山時代]]に[[豊臣秀吉]]の[[長宗我部氏]]攻めの兵火を受けて堂塔伽藍の大半を焼失したが、[[江戸時代]]初頭に[[高松藩]]初代藩主[[松平頼重]]の帰依により復興される。[[明治時代]]になってから、神宮寺から現在の寺号に改められた。