「トニー・ソレイタ」の版間の差分
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{{by|1980年}}に来日し、[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]に入団。主に指名打者として活躍。来日1年目は5番を打ち、[[打率]]が.239と低迷するものの45[[本塁打]]を放ち、数々の日本記録を残した。[[大阪球場]]での対[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]3回戦(ダブルヘッダー第2試合)の1回、[[佐々木宏一郎]]から3号3点本塁打を左中間に放つと、3回にも同投手から中堅へソロ、5回には[[三浦政基]]からまた左中間に3点本塁打、8回[[藤田学 (野球)|藤田学]]のストレートを右翼スタンドにライナーで入る6号本塁打を放った。6回に死球があったものの、4打数連続本塁打はパ・リーグ新記録。1試合での4打数連続は[[読売ジャイアンツ]]の[[王貞治]]が1964年に記録して以来、16年ぶりの日本プロ野球界タイ記録。この日を境に「打てないポンコツ外国人」から「サモアの怪人」に変身した。ソレイタは「1試合3本はメジャーでも打ったことがあるが、4本は初めてだ。今まで沈む球を強引に引っ張りすぎて失敗していたからね。なので、今日はセンター方向に打ち返すようにしたんだ。」と得意げに話した。9月4日、[[日生球場]]での対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]後期11回戦の9回に[[柳田豊]]から32号ソロを放つと、翌日には[[西武球場]]での対[[西武ライオンズ]]後期7回戦で第1打席から3連発。2日がかりの4打席連続本塁打でシーズン2回の日本新記録を樹立した。アドバイスをくれたのは、メジャー時代からの友人、近鉄の[[チャーリー・マニエル]]だった。
翌{{by|1981年}}には4番を打ち、打率.300、44本塁打、108[[打点]]という素晴らしい成績を残し、[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]と[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]の二冠に輝き、同期入団の[[トミー・クルーズ]]と共に日本ハムの19年ぶりとなるリーグ優勝の立役者となった。しかし、[[最優秀選手 (野球)|MVP]]は、3勝6敗25S防2.85の[[江夏豊]]、.
{{by|1982年}}には[[指名打者]]部門の[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]を受賞。
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