「中国民主党 (中華民国)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''中国民主党'''(ちゅうごくみんしゅとう)は、[[台湾]]([[中華民国]])の[[政党]]。[[{{混同|中国民主党 (中華人民共和国)|x1=1990年代に[[中国の中国民主党大陸]]とは関連で設立無い。計画された}}
'''中国民主党'''(ちゅうごくみんしゅとう)は、[[1960年中華民国]]統治下の[[台湾]]で[[民主化運動]]の活動家が[[1960年]]において設立計画され[[政党]]結党前に関係者が[[台湾国民政府]]当局により逮捕され、同党の設立は実現しなかったが、[[第二次世界大戦後]]の台湾[[民主化]]運動における先駆的な事例として位置づけられている。
 
なお、[[中国民主党 (中華民国・1988年)|1988年の台湾で結党された同名の政党]]とは一切関連性が無い。
 
== 概要 ==
1960年[[5月4日]]、[[雷震]]は雑誌『自由中国』において「我々にはなぜ、強力な反対党(野党)が必要なのか」と題した文章を発表し、野党を政治参画させ、中国国民党政権を牽制する必要性を説いた。同5月18日に検討会が開かれ、「地方選挙改進座談会」が組織され、[[野党]]の結成に備えた。雷震を招集委員とし、李萬居と高玉樹が共同でスポークスマンを務めた。7月から8月の間に4回の座談会が開催され、政党の名称を「中国民主党」とすることが決まり、また李萬君、郭雨新、高玉樹、楊金虎、許世賢、齊世英、夏濤聲等が新たに参加した。しかし、同9月4日,雷震、劉子英、馬之驌、[[傅正]]らが逮捕され、[[軍事法廷]]において「反乱勢力を加害、反乱を扇動した」との名目で10年の禁固刑が言い渡された。雷震は[[1970年]]に刑務所を出たが、その後も特務警察の監視を受けた。