削除された内容 追加された内容
フロイトのユダヤ論: オーストリアへ
1,903行目:
 
こうしてナチスによる「[[ユダヤ人問題の最終的解決]]」を目的としたユダヤ人政策によって、ヨーロッパの各地のユダヤ人が[[絶滅収容所]]等で[[ジェノサイド|大量虐殺]]の被害にあった。これは「[[ホロコースト]]」と呼ばれている。
 
===== フロイトのユダヤ論 =====
反ユダヤ主義の解明を執筆動機とした『モーセと一神教』(1939年)で[[ジークムント・フロイト]]は、キリスト教徒は不完全な洗礼を受けたのであり、キリスト教の内側には多神教を信じた先祖と変わらないものがあるし、キリスト教への憎悪がユダヤ教への憎悪へと移し向けたとした<ref name="uey-65-86">[[#上山安敏2005]],p.65-86.</ref>。また、キリスト教徒は神殺しを告白したためその罪が清められているが、ユダヤ教はモーセ殺しを認めないためにその償いをさせられた、と論じた<ref name="uey-65-86"/>。パウロはユダヤ民族の罪意識を[[原罪]]と呼んだが、キリスト教での原罪とは後に神格化される原父の殺害であり、ユダヤ教においてもモーセ殺害という罪意識があるとフロイトはいう<ref name="uey-65-86"/>{{refnest|group=*|フロイトのモーセ殺害説は、モーセ一行がシティムでバール神崇拝に堕して、それに反対したモーセが殺害され、その後儀礼に対する道徳の優位を主張するモーセ一神教が誕生したというE・ゼリンの『モーセとイスラエル』での説を取り入れたものであった<ref name="uey-65-86"/>。ゼリンは[[イザヤ書|第二イザヤ書]]第53章の僕(しもべ)がモーセであり、モーセの殉教がメシア思想を生んだとした<ref name="uey-65-86"/>{{refnest|group=*|[[イザヤ書|第二イザヤ書]]での「主の僕(しもべ)」については第53章の他、42:1-4,49:1-6, 50:4-9,52:13-15。}}。ゼリンの説は論駁され、ゼリンは自説を撤回したが、フロイトはこの説を支持し続けた<ref name="uey-65-86"/>}}。フロイトによれば、キリスト教には「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」という、神の肉と血を拝受する[[聖餐|聖餐式]]の儀礼があるが<ref>[[ヨハネによる福音書]]6:54『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年</ref>、ここには父=神を殺害して食べるというトーテム饗宴、カニバリズムの記憶があるとする<ref name="uey-65-86"/>。他方、ユダヤ教は中世からキリスト教徒によって儀式殺人やモロッホ崇拝、[[モレク]]崇拝などの嫌疑で攻撃されてきた{{refnest|group=*|『[[レビ記]]』18:21で「子どもをモレクにささげてはならない」、20:2-5に「イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。わたしは顔をその人に向け、彼を民のうちから断つであろう。彼がその子供をモレクにささげてわたしの聖所を汚し、またわたしの聖なる名を汚したからである。その人が子供をモレクにささげるとき、国の民がもしことさらに、この事に目をおおい、これを殺さないならば、わたし自身、顔をその人とその家族とに向け、彼および彼に見ならってモレクを慕い、これと姦淫する者を、すべて民のうちから断つであろう。」とある。<br>
また、『[[列王記]]』上第11章では、パロの娘、モアブ、アンモン、エドム、シドン、ヘテなどの外国の女を愛した[[ソロモン王]]が妻たちによって他の神々を崇拝したとある。「ソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従った」「ソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。」<br>
[[列王記]]下16:3では、アハズ王が「イスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした」とある。<br>
[[歴代誌]]下28:2-4では、「イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、ベンヒンノムの谷で香をたき、その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、また高き所の上、丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。」とある。『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955年.}}。フロイトはこうしたキリスト教徒による反ユダヤ主義の嫌疑は、[[聖餐|聖餐式]]を教義によって昇華させたキリスト教がユダヤ教から犠牲の観念を引き継ぎながら、ユダヤ教の儀礼の起源に対して嫌悪を憤激をもよおしていることが深層にあるとした<ref name="uey-65-86"/>。つまり、キリスト教は罪を告白して浄化されたのに対して、ユダヤ教は昇華されていない律法を墨守しているという論理が、反ユダヤ主義の内側にひそんでいるとした<ref name="uey-65-86"/>。
 
フロイトは宗教は人類の集団的[[強迫性障害|強迫神経症]]であるとしていたが<ref>『幻想の未来』(1927)、『文化への不満』(1930)</ref>、『モーゼと一神教』では宗教は単なる幻想というよりも、文化を推進する力とみなし、さらにキリスト教以後のユダヤ教は化石であるが、またパウロ以後のキリスト教も退行であり、いまやユダヤ人だけが一神教の活気を保持しており、キリスト教よりもユダヤ教が優位にあると論じた<ref name="uey-65-86"/>。フロイトは、カント以来のリベラル・プロテスタントにおけるイエスのモーセ教に対する優位を転倒させ、モーセのイエスに対する優位を宣明した<ref name="uey-65-86"/>。しかし、『モーゼと一神教』に対しては世界中のユダヤ人から、エジプト人のモーセという捉え方、ユダヤ民族によるモーセ殺害について抗議が殺到し、ユダヤ系宗教哲学者[[マルティン・ブーバー|ブーバー]]は非科学的で根拠のない推定であり嘆かわしいと否定した<ref>[[#上山安敏2005]],p.87,90.</ref>。なお、[[ムッソリーニ]]はフロイトを丁重に扱うようにヒトラーに依頼していたという<ref>[[#上山安敏2005]],p.47-48.</ref>。
 
=== イタリア ===