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*[[松本サリン事件]] - 否認も自白もしない。教団が精神錯乱剤などによる毒ガス攻撃を受けていたため発生した可能性がある<ref>降幡賢一『オウム法廷13』 p.200</ref>
 
麻原は[[釈迦]]や[[シヴァ神]]の[[啓示]]により[[遠藤誠 (弁護士)|遠藤誠]]弁護士に弁護を頼んだが遠藤に拒否され<ref>降幡賢一『オウム法廷11』 p.66</ref>、[[横山昭二]]弁護士が麻原の私選弁護人となった(後に解任)。横山に宛てた「麻原ノート」には、「多くの人たちが死に、また'''傷害を負ったことは事実'''です」「今回の事件の幕引きについては、私個人は自己の一身をこのようにいじめながらなげうって、いじめながら人生の終わりを迎えたいと考えているのです」「外にいる弟子たちの修行の場を取り上げるようなことはどうかやめてください」などと書いた<ref name="note">[https://web.archive.org/web/19990202205217/http://www.aum-net.com:80/ben4-04.htm ●「麻原ノート」の内容――私は教団代表及び教祖を降りる] オウム真理教公式サイト(Internet Archive)</ref>。
 
== 裁判 ==
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その他<ref name="choetsu2">『超越神力・パート2』([[オウム出版]])</ref>
 
=== 超越神力空中浮揚 ===
*自分は[[超能力|超能力(超越神力)]]を使えるとして、麻原は[[1985年]]頃のオカルト雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』の中などで[[岐部哲也]]が撮影した麻原が空中浮揚しているとされる写真を公開し、空中浮揚をテーマとした本や[[オウム真理教のアニメ|アニメ]]も製作するなど大々的に宣伝した。初めて浮揚したのは1985年2月であるという<ref>麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 p.15</ref>。
 
*[[坂本堤]]弁護士が組織した「オウム真理教被害者の会」はこれをインチキと批判、公開の場で行えと要求し、その後[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]が発生した<ref name="hanketu" />。
 
:*坂本の後を継いだ[[弁護士]][[滝本太郎]]は、[[座禅]]を組んだままでの跳躍(ジャンプ)を[[エレクトロニックフラッシュ|ストロボ]]を使い早いシャッタースピードで空中にいる瞬間だけを狙って写真撮影することで「あたかも連続して飛んでいるように見える」ようにしたトリックだと主張し<ref group="注">事実、麻原の浮揚写真では[[髪]]が逆立ち、力んだ表情が見られる。</ref>、「[[空中浮揚]]なら自分でもできる」と、自ら「空中浮揚」した[[写真]]を信者に見せてまわり、多くの脱会者をつくっていたため坂本同様に命を狙われた([[滝本太郎弁護士サリン襲撃事件]]){{Sfn|東京キララ社|2003|p=46}}。
 
*3女[[松本麗華]]は空中浮揚が見たくて、麻原に依頼したところ「疲れているから」と断られた。ただし、身体が勝手に跳びはねる空中浮揚の前段階といわれる[[ダルドリー・シッディ]]という現象は何度も目撃している<ref name="yukan-news.ameba">[http://yukan-news.ameba.jp/20150407-4/ アメーバニュース2015年04月07日 麻原彰晃の三女が明かす半生と父への思い「矛盾の中で生きてきました」]</ref>。
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*麻原の弁護人を務めた[[安田好弘]]が法廷で空中浮揚してみたらと提案したところ、麻原は本気で飛ぼうと熱心に拘置所内で練習していたという{{Sfn|森|2012|p=98}}。
<!-- [[空中浮揚]]で高さ40センチメートル飛んだことがあると自称していた{{要出典|date=2013年7月}}。3秒間の滞空時間があったともされる。 -->
 
*[[早川紀代秀]]曰く、第1[[サティアン]]建設のとき麻原が超能力で必要な[[水道管]]の太さを予言し上手くいったという<ref>降幡賢一『オウム法廷5』 p.73</ref>。
 
=== 音楽 ===
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*三女[[松本麗華]]は、父は[[1990年]]頃に失明したとする。なお、左目は[[義眼]]であるという<ref>[https://twitter.com/asaharasanjo/status/959337036233678848 松本麗華ツイッター 2018年2月2日](同日閲覧) </ref>。著書『止まった時計』の中で、[[フランス]]へ行ったとき、[[村井秀夫]]や[[石井久子]]はスーツ姿、三女ら子供たちも普通の格好だったが、麻原だけは[[オウム真理教の衣服|クルタ]]を着用していた。もし、麻原に視力があったなら、それなりにまともな格好をしたのではなかったかと指摘している。これに象徴されるように、オウムが社会性をなくしていったのも麻原の目が見えないことと関連しているのではないかと三女は考えている<ref name="rika" />。
 
*麻原の調書によると、左目は全盲、右目は[[パラリンピック]]を目指していた高等部2年のとき0.3(熊本市立病院調べ)、薬事法違反のとき0.1(警察病院調べ)で、その後読書が困難になり、1989年頃から急激に悪化したが[[オウム真理教男性信者殺害事件|男性信者殺害事件]]のときには被害者の顔は見えていた、逮捕時には時々輪郭が見える程度に落ち込んでいて(失明しているとはいっていない)報道陣のフラッシュは全く分からなかったと語ったとされる<ref>降幡賢一『オウム法廷13』 p.250</ref>。また逮捕後、「麻原ノート」([[#逮捕|前述]])を自分で書いて弁護団に渡しているが、文字を書くのに苦労し解読してもらうのに時間がかかったという<ref name="note"/>。
 
=== 旅行 ===
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*ある日、元[[慶応大学]]の心臓外科医で信者であった[[林郁夫]]に向かい、「実は[[心臓]]に[[いぼ]]ができているんだ。何とかしてくれ」といった。これには流石の林も困ってしまったという<ref name="kohan19961108" />。
* 凶悪な発言も多い中、[[松本サリン事件]]後に[[井上嘉浩]]に対して「俺も無差別(殺人)はつらいんだよ。でもアーナンダ、ヴァジラヤーナの救済のためには仕方がないんだよ」と珍しく弱音を吐いたこともあった<ref>降幡賢一『オウム法廷9』 p.87</ref>。
*麻原の予言には当たったものもある。[[早川紀代秀]]曰く、第1[[サティアン]]建設のとき麻原が超能力で必要な[[水道管]]の太さを予言し的中させ、建設が上手くいったという<ref>降幡賢一『オウム法廷5』 p.73</ref>。
 
=== 思想 ===