「石斧」の版間の差分
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== 縦斧と横斧 ==
斧は縦斧と横斧の二つに大きく分けることができる。縦斧は刃が柄と平行、または柄と刃部が一直線に、横斧は刃と柄が直交するように付けられている<ref>横山浩一は、縦斧を「平行刃斧」、横斧を「直交刃斧」と呼び分けている。</ref>。一般には縦斧(平行刃斧)を斧(オノ)、横斧(直交刃斧)を[[釿|手斧(チョウナ)]]と呼んでいる。しかし、両者をオノと呼ぶことが多い。鉞(マサカリ)は大型の縦斧(平行刃斧)である<ref>佐原真「石斧論 -横斧から縦斧へ-」/金関恕・春成秀爾編集『佐原真の仕事1 道具の考古学』岩波書店 2005年 374-375ページ</ref>。
== 製作方法とその変遷(日本における例) ==
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縄文時代に入ってこれらに加え'''磨製石斧'''が作られた。[[旧石器時代]]からの刃部のみの[[研磨]]された局部磨製石斧はだんだん姿を消していく。全面研磨されたものは草創期に出現する。縄文時代早期から前期にかけての北日本では、砥石状工具を用いた擦切技法(すりきりぎほう)が発展する。しかし、この技法は縄文時代中期末にほぼ消滅する。擦切技法の石斧とともに定角式磨製石斧も現れるが、この石斧が定型的な形を持ち、広い分布と出土量の多さを示してくるのは縄文中期末頃である。縄文後期になると、長さ2~2.5cmの磨製石斧のミニチュアがみられるようになる。小さいながらきわめて精巧にできているものが多く、研磨も行き届いて美麗なものが増える。なかには穴を空けたものもあり、とても実用品とは思われない。縄文後期・晩期になると呪術的な遺物が著しく発達することからも、磨製石斧も儀器や装飾品としての意味合いを濃くしたものと考えられる。
いっぽう'''打製石斧'''は、縄文時代早期末に、三味線の撥(バチ)に似た形状で、鋭い剥離面を刃部とした片刃の石斧が北日本にみられ、それは「直刃斧」あるいは「[[トランシェ様石器]]」といわれ、後世の「[[釿|手斧]]」のような使用が考えられる。縄文中期中葉以降、関東地方や中部地方では打製石斧の数量が爆発的に増加するが、形状は短冊形、撥形、分銅形のものが多く、これらは垂直に打ち下ろす「斧」には向いていない。乳棒状磨製石斧や定角式磨製石斧など伐採具に適した道具が他にあることからも土掘りの道具と考えられている。
縄文時代中期の打製石斧の製作所跡としては熊本県[[合志市]]二子山が知られている。粗割りの後、次の作業工程に都合良くしたり、さらに打撃を加えて整形したりする工程が四つほどに分けられる。そして、その場で完成品を製作するのではなく、未完成のまま各集落に運ばれる<ref name=sekihuron>佐原真「石斧論-横斧から縦斧へ-」金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事2 道具の考古学』岩波書店 2005年</ref>。
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