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文政10年([[1827年]])に、仁和寺第29世門跡であった不壊身院御室・済仁法親王が、四国八十八箇所を巡拝できない人々のために発願し、仁和寺寺侍・久富遠江守に命じて四国八十八箇所各札所の砂を持ち帰らせ、仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所を模して同じ数の88宇の堂を設けて、持ち帰らせた砂を設けた堂に埋めたことが起源とされる。
 
現在は一般向けに”京都でできる、一日お遍路。”と称し、四国八十八ヶ所の写しである札所を約2時間の行程で全て巡ることができ、これを結願(けちがん)成就すれば四国八十八ヶ所霊場巡礼と同じご利益を得ることができるものとして案内されており、ウォーキング、ハイキングのコースとしても楽しめるようになっている。
また、かつては「御室 仁和寺 成就山88ヵ所スタンプハイク」が仁和寺主催で年6回行われていた。
 
また、かつて「御室 仁和寺 成就山88ヵ所スタンプハイク」、現在の「仁和寺主催で年6回行われていた。 成就山八十八ヵ所ウォーク」)
 
参拝道は自然があふれ、小鳥のさえずりや、四季の草花を楽しむことが出来、途中、数か所設けられている絶景ポイントから眼下に広がる京都市内の眺めは絶景であり、晴れた日には遠くは伏見付近を望むことができるとされている。
 
=== 御室桜 ===
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* 金堂
* 木造[[阿弥陀如来]]及両[[脇侍]]像 - 元は金堂に安置され、現在は寺内の霊宝館に移されている。[[仁和]]4年([[888年]])創建時の本尊といわれる。
* 木造[[薬師如来]]坐像 - 本坊北側にある霊明殿(仁和寺歴代門跡の位牌を祀る堂)の本尊。[[1986年]](昭和61年)、[[京都国立博物館]]の調査で初めて概要が明らかになり、[[1990年]]([[平成]]2年)、国宝に指定された。[[康和]]5年([[1103年]])、[[白河天皇]]の皇子・覚行法親王の発願により仏師の[[円勢]]と長円が造像した。本体の像高11センチメートル、光背と台座を含めても24センチメートルほどの[[ビャクダン|白檀]]材の小像で、光背には七仏薬師像と[[日光菩薩]]・[[月光菩薩]]、台座には前後左右各面に3体ずつの[[十二神将]]を表す入念な作である。(2020年9月19日から27日に渡り、霊宝館にて特別公開)
* 絹本著色[[孔雀明王]]像(絵画) - [[北宋]]時代の[[仏画]]。
* 宝相華(ほうそうげ)[[蒔絵]]宝珠箱(附:木製彩絵[[四天王]]像4枚) - [[平安時代]]前期の[[漆]]工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重。