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[[1997年]]、[[プレミアリーグ (バレーボール)|Vリーグ]]女子・[[東洋紡オーキス]]の監督に就任。就任2年目でVリーグ初優勝、日本リーグ時代を通じて初めて、自分の指揮する男女チームを優勝に導く。<ref>現在男女チーム優勝監督は、柳本と柳本の高校及び実業団(新日鐵)の後輩である[[真鍋政義]]の2名である。</ref>
 
[[2003年]]2月、[[バレーボール日本女子代表|全日本女子代表]]監督に就任<ref>httphttps://web.archive.org/web/20030116105516/http://www.yomiuri.co.jp/06/20030115ie01.htm</ref>。[[吉原知子]]をキャプテンとして全日本に復帰させ、[[大山加奈]]、[[栗原恵]]ら若手選手を積極的に起用するなど大胆な策を見せた。同年11月開催の[[2003年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]では、強豪の[[キューバ]]から金星を挙げ5位となる快進撃を演じ、翌[[2004年]]5月開催の[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]世界最終予選では開幕6連勝を果たして、2大会振りの出場権を獲得した。同年8月開催の[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]は5位の成績を残した。
 
オリンピック終了後、監督辞任を示唆したが、協会に慰留される形で続投する事となった。[[2006年]][[10月]]から[[11月]]にかけて[[日本]]で開催された[[2006年バレーボール世界選手権|世界選手権]]では6位、[[2007年]][[2007年ワールドカップバレーボール|ワールドカップ]]は7位に終わったが、[[2008年]]5月開催の[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]世界最終予選において、開幕6連勝を果たし、2大会連続の出場権を獲得。同年8月開催の[[2008年北京オリンピックのバレーボール競技|北京オリンピック]]において、前回大会と同じく5位の成績となった。