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{{存命人物の出典明記|date=2020年7月}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 新井 良太
|所属球団 = 阪神タイガース
|役職 = 打撃コーチ
|背番号 = 83
|選手写真ファイル名 = Arai ryota.jpg
|写真のコメント = 2012年8月17日、[[明治神宮野球場]]にて
|写真サイズ = 220px
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[広島県]][[広島市]][[佐伯区]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1983|8|16}}
|没年月日 =
|身長 = 188
|体重 = 99
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = [[三塁手]]、[[一塁手]]、[[外野手]]
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2005}}
|ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト4巡目
|初出場 = 2006年7月25日
|最終出場 = 2017年10月10日(引退試合)
|年俸 =
|経歴 =
* [[広陵高等学校 (広島県)|広陵高等学校]]
* [[駒澤大学硬式野球部|駒澤大学]]
* [[中日ドラゴンズ]] (2006 - 2010)
* [[阪神タイガース]] (2011 - 2017)
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 =
* 阪神タイガース (2018 - )
}}
'''新井 良太'''(あらい りょうた、[[1983年]][[8月16日]] - )は、[[広島県]][[広島市]][[佐伯区]]出身の[[プロ野球選手|元プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]]、右投右打)・[[プロ野球コーチ|コーチ]]。[[広島東洋カープ]]に所属していた[[新井貴浩]]内野手は実兄で、{{by|2011年}}から{{by|2014年}}までは、兄弟揃って[[阪神タイガース]]に所属した。
 
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オフには[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]・[[ウィンターリーグ]]に派遣され、レオネス・デル・エスコヒード ([[:en:Leones del Escogido|Leones del Escogido]]) に所属した。結局、選手登録はされず、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]のアカデミーでの練習試合に出場して通算8打数3安打4四死球と、選手登録されて出場した[[藤井淳志]]や[[前田章宏]]に比べて低いものであった。しかし、派遣されている間に[[タイロン・ウッズ]]が退団、さらに、翌年の一塁手最有力候補であった[[中村紀洋]]も[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]]で[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に移籍し、定位置である一塁が空いたため、開幕スタメンのチャンスができた。
 
{{by|2009年}}の春季キャンプは一軍スタートでそのまま完走。3月1日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]の[[オープン戦]]で6回表無死、日本ハムの3番手[[江尻慎太郎]]から中越えに本塁打を放った。その後は不調となり二軍に降格したが、開幕は初めて一軍で迎えた。しかし代打で結果が出せず、4月20日に降格した。ウエスタン・リーグでは4番・一塁のレギュラーとして打率.299, 9本塁打、リーグ3位の55打点。出塁率.426, 最多四死球(60個)で2年連続となる最高出塁率のタイトルを獲得した。4月の練習で一軍控え組で測定された10メートル走でトップになり、[[宮前岳巳]]トレーニングコーチに「今年からすごく速くなった。チームの5本の指に入るかもしれない」と言われた<ref>[{{Cite web |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/draban/20090414/index.html |title=ドラ番記者 |publisher=中日スポーツweb版 ドラ番記者 |date=2009年4月-04-14日分](リンク切れ) [|accessdate=2021-09-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090423190948/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/draban/20090414/index.html インターネットアーカイブ]|archivedate=2009-04-23}}</ref>。
 
{{by|2010年}}、6月9日の対楽天戦で一軍での初本塁打を記録した。この年は自己最多の45試合に出場したが、打率1割台と不振に陥り一軍に定着することはできなかった。オフに背番号を「32」に変更することになったが、その直後の12月24日、[[水田圭介]]との[[トレード|交換トレード]]で阪神に移籍<ref>[{{Cite web |url=https://dragons.jp/news/2010/10122401.html |title=トレード決定のお知らせ] |publisher=中日ドラゴンズプレスリリース |date=2010-12-24 |accessdate=2021-09-22}}。</ref>。兄・貴浩、慕っている[[金本知憲]]と同じチームでプレイすることになった。
 
12月27日に阪神入団発表記者会見を行い、背番号は'''32。'''登録名・スコアボード表記名はフルネームの「新井良太」と発表された<ref>[{{Cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm |title=【プロ野球】阪神加入の新井弟が入団会見、登録名は「新井良太」] |publisher=[[産経新聞]] |date=2010-12-27日。 {{webarchive|accessdate=2021-09-22 |urlarchiveurl=https://web.archive.org/web/20110103193945/http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/101227/bbl1012271531006-n1.htm |datearchivedate=2011年1月3日 -01-03}}</ref>。ただし、甲子園などの球場ではスペースの都合上「新井良」と表示、兄・貴浩は「新井」のままである<ref>{{Efn2|兄・貴浩の阪神退団後もこの表記は現役引退まで継続していたが、マスメディアでは単に「新井」と表記されることが多い。</ref>}}。水田が着けていた背番号をそのまま引き継ぐ形になったが、これは中日で翌年に着けるはずだった番号とも同じであった。
 
=== 阪神時代 ===
移籍初年度の{{by|2011年}}、開幕一軍に帯同し、4月19日の対[[読売ジャイアンツ]](巨人)戦で、移籍後初安打をプロ入り初の[[サヨナラゲーム|サヨナラ安打]]で決めた。4月22日の対横浜戦に兄・貴浩もサヨナラ安打を放ち、史上初の同年に同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した<ref>[{{Cite web |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/23/kiji/K20110423000681910.html |title=同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打] |publisher=スポーツニッポン |date=2011年4月-04-23 |accessdate=2021-09-22}}。</ref>。その後は調子を落とし、8月5日に一軍登録を抹消<ref name="hanshin">[{{Cite web |url=https://hanshintigers.jp/farm/column/c11_12.html |title=ファームコラム「兄と同じく苦しむ弟」] |publisher=阪神タイガース公式サイト |date=2011年9月6日-09-06 |accessdate=2021-09-22}}</ref>。8月は二軍でも32打数4安打、打率.125と不振を極めた{{R|hanshin}}。9月になり復調し、[[藤川俊介|俊介]]と交代で9月15日に再昇格したが、昇格後は再び不振に陥り結果を残せなかった。最終的に打率は2割に満たず、結局前年よりも少ない43試合の出場でシーズンを終えた。
 
{{by|2012年}}は一軍の試合で一塁手・三塁手・左翼手・[[右翼手]]の4ポジションを経験しながら、徐々に長打力を発揮するようになり、兄・貴浩の出場いかんにかかわらず、スタメンで試合に出場する機会が増えていった<ref>{{Cite news |title=虎・新井良で巻き返せ!6連敗が何じゃい |author=高瀬悟嗣 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2012-07-09 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120709/tig12070905040010-n2.html |accessdate=2012-07-29}}</ref>。7月17日の対巨人戦で、阪神球団として7,000本目の本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=「たまたま」新井良、阪神7000本目の本塁打 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2012-07-17 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20120717/tig12071723080014-n1.html |accessdate=2012-07-29}}</ref>。貴浩とともにスタメンで出場した7月29日の対横浜戦([[阪神甲子園球場]])では、貴浩とともに本塁打を放ち、{{by|1981年}}の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]]の[[レロン・リー]]と[[レオン・リー]]以来31年ぶり3組目の兄弟アベック本塁打を記録した<ref>{{Cite news |title=阪神の新井が31年ぶり兄弟アベック弾 |newspaper=デイリースポーツ |date=2012-07-29 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2012/07/29/0005251861.shtml |accessdate=2012-07-29}}</ref>。優勝争いから遠ざかっていた8月の長期ロードからは、[[和田豊]]監督の方針で「4番・三塁手」としてスタメンに定着。同月12日の対広島戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])では、3回裏に4番打者としての初本塁打を放つと、6回裏に貴浩の本塁打によってシーズン2度目となる兄弟アベック本塁打を達成した<ref>{{Cite news |title=新井兄弟弾 虎3つの連敗から脱出 |newspaper=日刊スポーツ |date=2012-08-13 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20120813-999932.html |accessdate=2012-09-02}}</ref>。また、9月2日の対広島戦(甲子園)では、延長11回裏にライトスタンドへ「野球人生初」というサヨナラ本塁打(2ラン)を放っている。最終的に47試合で4番を打ち、頭角を表す。
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{{by|2013年}}、シーズン開幕戦の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦(3月29日・[[明治神宮野球場]])で、4番打者としてプロ入り後初の開幕スタメンに抜擢。第1打席の二塁ゴロ失策で、チームのシーズン初打点を挙げた。その後の試合でも4番打者に起用され続けたが重圧から結果が出ず、4月5日の対広島戦([[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]])延長11回表の打席で、遊撃へゴロを放って一塁ベースを駆け抜けた際に左太もも裏を痛めて交代(記録は併殺打)。その後の検査で「軽度の肉離れ」と診断されたため、翌4月6日に出場登録を抹消された<ref>{{Cite news |title=良太は軽度の肉離れ 出場選手登録を抹消 |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-04-09 |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/tigers/2013/04/06/0005877666.shtml |accessdate=2013-04-09}}</ref>。同月16日に一軍復帰を果たすと、「6番・三塁手」として出場した5月19日の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦(甲子園)の第1打席で、プロ入り後初の満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=虎・良太、プロ初の満塁アーチ |newspaper=サンケイスポーツ |date=2013-05-19 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130518/tig13051815080013-n1.html |accessdate=2013-05-20}}</ref>。その後は、前述の戦線離脱を機に[[マット・マートン]]が4番打者へ定着していたことに加えて、自身の打撃不振から7番や8番に降格。三塁の守備でも精彩を欠いたため、[[セ・パ交流戦]]終盤の6月10日から同月20日までは、二軍での調整を余儀なくされたが、一軍復帰後の7月14日の対[[横浜DeNAベイスターズ]]戦(甲子園)ではシーズン2本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130714-1157509.html |title=【阪神】新井良、満塁弾「無我夢中」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2013-07-25 |accessdate=2021-09-04}}</ref>。さらに、7月24日の対ヤクルト戦([[明治神宮野球場]])ではシーズン3本目となる満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=良太2発6打点!今季3本目Gスラム |newspaper=デイリースポーツ |date=2013-07-25 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2013/07/25/0006189728.shtml |accessdate=2013-07-25}}</ref>。シーズン3度の満塁本塁打を記録したのは阪神では[[ハル・ブリーデン]]、[[田淵幸一]]、[[今岡誠]]に次いで4人目。この年は前年を上回る119試合に出場し、いずれも自己最高の14本塁打、51打点を記録したが打率は.238と安定感を欠いた。
 
{{by|2014年}}は4月までに打率.338, 6本塁打を放つなど好調なスタートを切ったが、5月以降は不振に陥り6月25日に登録抹消。一軍復帰後は代打要員または7番・右翼手として出場していたが、8月28日に腰痛を発症して翌日に再び登録抹消され<ref>{{Cite news |title=良太、抹消へ 腰痛発症で監督明言 |newspaper=デイリースポーツ |date=2014-08-29 |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2014/08/29/0007281342.shtml |accessdate=2014-10-09}}</ref>、そのままレギュラーシーズンを終えた。オフには背番号を、この年限りで阪神を退団して広島に復帰した兄・貴浩がつけていた「25」への変更を打診されたが、「誰かにつけられるくらいなら僕がというも思いもあったけど。いろいろな人に相談した。32に愛着もあるし、25は兄のイメージもあるので」と語り、辞退した<ref>{{Cite news |title=阪神・良太が兄の背番「25」を辞退…「25は兄のイメージ」 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2014-12-505 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20141205/tig14120519100017-n1.html |accessdate=2014-12-29}}</ref>。なお、背番号「25」は駒大の後輩で、大学時代には新井兄弟同様「25」を背負っていた同年のドラフト3位の[[江越大賀]]がつけることになった。
 
{{by|2015年}}には、一軍公式戦93試合に出場したが、打率.193、4本塁打と精彩を欠いた。{{by|2016年}}には、一軍公式戦への出場試合数が46試合にまで減少。打率.154、3本塁打と、前年に続いて低迷した。
 
{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンの終盤まで、一軍公式戦16試合に代打で出場。打率.063(16打数1安打)で、本塁打はなく、シーズンの大半を二軍で過ごした。[[ウエスタン・リーグ]]公式戦では64試合の出場で打率.288、9本塁打を記録したが、10月10日に現役引退を発表する<ref>{{Cite web |title=【スタッフより】 |publisher=新井良太オフィシャルブログ |date=2017-10-10 |url=https://ameblo.jp/ryota-arai32/ |accessdate=2017-10-10}}</ref>。当初は親しい知人にも告げずにひっそりと引退するつもりであったが、監督の[[金本知憲]]の計らいで周囲に知れ渡り、一軍のレギュラーシーズン最終戦および[[安藤優也]]の引退試合であった当日夜の対中日戦(甲子園)6回裏に代打へ起用された<ref>{{Cite web |title=【神機一転】新井良太 ひっそり去るつもりが最高の引退試合に |url=https://www.daily.co.jp/tigers/2017/12/17/0010824769.shtml |website=デイリースポーツ |date=2017-12-17 |accessdate=2021-04-09}}</ref>(記録は遊撃へのゴロ)。そのまま三塁の守備に就くと、安藤が登板した8回表には、2人目の打者で代打の[[野本圭]]が放った三遊間の強いゴロをダイビングキャッチ(記録は三塁へのゴロ)。8回裏に現役最後の打席を迎えたが、[[福谷浩司]]の前に左翼へのフライで凡退した。しかし、試合後には、引退セレモニーを終えたばかりの安藤に続いて阪神ナインから5回にわたって胴上げされた。10月11日の記者会見で、改めて現役引退を報告<ref>{{Cite web |title=阪神・新井良太、11日に引退会見…最後まで魅せたフルスイング |url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20171011/tig17101105010017-n1.html |website=SANSPO.COM |date=2017-10-11 |accessdate=2021-04-09 |language=ja |author=SANKEI DIGITAL INC}}</ref>。10月26日付で、安藤と共に、[[日本野球機構|NPB]]から[[任意引退選手]]として公示された<ref>{{Cite news |title=2017年度任意引退選手 |author= |publisher=日本野球機構 |date=2017-10-26 |url=https://npb.jp/announcement/2017/pn_retired.html |accessdate=2017-10-27}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
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== 選手としての特徴 ==
長打力を生かした打撃が持ち味。豪快なフルスイングでジャストミートした際には派手にバットを投げ飛ばす動作が特徴。この動作について新井は「無意識ですね。振り抜いた時にああいう風になるって感じで。振り抜いて収まりが良い時に自然と投げちゃいますね」と語っている<ref>{{Cite web |title=阪神タイガース 新井 良太選手「フルスイングを実現する軸回転の秘密」 |url=https://www-hb--nippon-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317/amp?amp_js_v=a6&amp_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw==#aoh=16322525839013&amp_ct=1632252590683&referrer=https://www.google.com&amp_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9:%20%251$s&ampshare=https://www.hb-nippon.com/interview/1343-intvw2015/6850-20150729no317 |website=www高校野球ドットコム |date=2015-hb08--nippon-com.cdn.ampproject.org10 |accessdate=2021-09-21}}</ref>。
 
== 人物 ==
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『月刊ドラゴンズ』2月号のインタビューで[[清水昭信]]、[[高橋聡文]]、[[佐藤亮太 (野球)|佐藤亮太]]、[[前田章宏]]、2007年まで中日に[[育成選手制度 (日本プロ野球)|育成選手]]として所属した[[竹下哲史]]の6人で集まる「昭和58年会」を行っていると語っている。
 
2013年の秋季キャンプから阪神の[[ゼネラルマネジャー|GM]]付育成&打撃コーディネーター(当時。現在はオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー<ref>{{Efn2|2015年9月23日に[[中村勝広]]GMが死去したことに伴い、10月1日付の人事異動でGM職が廃止されたため「球団本部付育成&打撃コーディネーター」に肩書きが変更されたが、一軍監督に就任した金本の要請で二軍監督に就任した。その後、2017年限りで二軍監督を退任しオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザーに就任した。</ref>}})に就任した[[掛布雅之]]からは、「[[ミスタータイガース]]と呼ばれた現役時代の自分に続いて欲しい」という期待を込めて、「小ミスター」と呼ばれている<ref>[{{Cite web |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20131107-1214714.html |title=掛布DC命名 新井良は「小ミスター」](「[[ |publisher=日刊スポーツ]]」 |date=2013-11月7日付記事)-07 |accessdate=2021-09-22}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
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=== 表彰 ===
* 月間[[スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞|サヨナラ賞]]:1回 (2012年9月)
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回 (2012年度第9回)
* [[スピードアップ賞]]:1回 (2012年)
* [[サンケイスポーツ|サンスポ]]MVP大賞:1回 (2012年<ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/baseball/photos/20161123/tig16112305040011-p6.html |title=【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者 |newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |publisher=[[産業経済新聞社]] |date=2016-11-23 |accessdate=2017-09-07}}</ref>)
 
=== 記録 ===
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=== 出演 ===
; CM
* [[上新電機]](2013年) - チームメイトの[[能見篤史]]・[[伊藤隼太]]とともに出演
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}