「陸軍幼年学校 (日本)」の版間の差分

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選抜: 「武官の子息を主な対象とする月謝の減免措置も影響し、陸幼入校者のうち30% - 50%程度が武官の子息であった。」に出典を追加。
選抜: 「高等小学校から陸幼に進んだ著名な軍人」についての脚注に遠藤三郎を加筆。
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陸軍幼年学校生徒採用試験は合格・入校すると同時に軍籍に入るため「召募試験<ref name=":14">{{Cite web|url=https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000037761&ID=&TYPE=|title=陸軍幼年学校令改正・御署名原本・昭和十五年・勅令第八九号(請求番号:御23468100)|accessdate=2021-9-29|website=国立公文書館デジタルアーカイブ}}</ref>」と呼ばれ(士官学校の採用試験も同じ)<ref name=":0" />、身体検査と学科試験が実施された<ref name=":11" />。まず身体検査が行われ、身体検査に合格した者のみが、学科試験(国語・作文・地理・歴史・数学・理科<ref name=":11" />)を受験できた<ref name=":11" />。
 
'''陸幼受験資格は、満13歳以上・満15歳未満'''<ref name=":0" /><ref name=":11" />(願書を提出する翌年=入校する年の、3月31日における年齢<ref name=":11">{{Cite book|和書|title=陸軍予科士官学校 陸軍幼年学校 受験入校の手引|year=1938|publisher=[[講談社|大日本雄弁会講談社]]|page=19-26|author=[[教育総監|教育総監部]](監修)、陸軍将校生徒試験常置委員(編)|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437791|quote=第二 陸軍幼年学校受験入校の手続}}</ref>{{Efn|例えば1939年度(昭和14年度)志願者(1938年に願書を提出して1939年4月に入校)は、1924年4月2日 - 1926年4月1日の出生であることを要する<ref name=":11" />。}})'''という年齢制限のみ'''であり、2回まで受験できた<ref name=":0" />。召募試験において求められる学力は中学校1年第2学期修了程度であったが<ref name=":11" />、受験に際して'''学歴は不問'''であった<ref name=":0" /><ref name=":11" />。陸幼の召募試験は高倍率であったため陸幼生徒の多くは中学校出身者であったが、少数ながら高等小学校出身者も存在する{{Refnest|group="注釈"|高等小学校から陸幼に進んだ著名な軍人には、[[後宮淳]]大将<ref>{{Harvnb|半藤|2013|p=|pp=|loc=位置No. 1030-1137, 第二章 緒戦の連勝と米軍の反攻-後宮淳 東条の選んだ高級参謀次長}}</ref>、[[遠藤三郎 (陸軍軍人)|遠藤三郎]]中将<ref>{{Harvnb|秦|2005|p=29|pp=|loc=第1部 主要陸海軍人の履歴-陸軍-遠藤三郎}}</ref>、[[辻政信]]大佐<ref>{{Harvnb|秦|2005|p=|pp=103-104|loc=第1部 主要陸海軍人の履歴-陸軍-辻政信}}</ref>がいる。}}。
 
特待生となる資格を持つ「戦死した、または公務による負傷・疾病で死亡した、陸海軍の軍人、または文官の遺児」は、一定の成績であれば順位に関わらずに合格とされた<ref name=":0" />。陸幼生徒選抜にあたっては理数系の素養が重視されており、数学が満点で、他が一定基準を満たしていれば優先的に合格とされた<ref name=":0" />。さらに、召募試験合格者は入校予定の各陸幼において精密な身体検査を受け、これに改めて合格した者が晴れて陸幼生徒となった。