「酉の市」の版間の差分
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関東では、[[鷲宮神社]]([[埼玉県]][[北葛飾郡]][[鷲宮町]])が鷲神社の本社とされる。鷲宮神社の祭神は、[[天穂日命]]、[[武夷鳥命]]、[[大己貴命]]である。日本武尊が東征の際、この神社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。
[[江戸時代]]には、[[武蔵国]][[南足立郡]]花又村(現・[[東京都]][[足立区]][[花畑 (足立区)|花畑]]町)にある[[大鷲神社]](鷲大明神)が栄え、「本酉」と言われた。この花又鷲大明神を産土神とする近在住民の収穫祭が江戸酉の市の発端といわれている。現在の大鷲神社の祭神は日本武尊で、東征からの帰還の際、同地で戦勝を祝したとされる。江戸時代には、大鷲神社の本尊([[神仏習合#本地垂迹説|本地]])は鷲の背に乗った[[釈迦]]とされた。大鷲神社の酉の市は、15世紀初めの[[応永]]年間に始まるとされ、参詣人は、[[ニワトリ|鶏]]を献納して開運を祈り、祭が終了した後浅草観音堂前([[浅草寺]])に献納した鶏を放った。
江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、[[浅草]]の鷲在山長国寺(じゅざいさん・ちょうこくじ、[[法華宗本門流]])境内の鷲大明神社([[東京都]][[台東区]]千束)で行われた酉の市である。「本酉」「大酉」と呼ばれた花又の酉の市に対して「新酉」と呼ばれた。当時浅草の鷲大明神は妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ。)とも呼ばれて、鷲に乗った妙見[[菩薩]]の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。鷲大明神社は「鷲宮(わしのみや)」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には[[神仏分離令]]により、長国寺と鷲神社とに引き分けられた。現在の鷲神社の祭神は、[[天日鷲命]]と日本武尊。
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