「ジョン・マクラフリン」の版間の差分

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ウィリアムスの紹介で知り合った[[マイルス・デイヴィス]]のセッションにも度々参加し<ref name="huey" />、『[[イン・ア・サイレント・ウェイ]]』、マクラフリンの名がタイトルに入った曲を収録した『[[ビッチェズ・ブリュー]]』、『[[オン・ザ・コーナー]]』、『ビッグ・ファン』、『ジャック・ジョンソン』等にクレジットされている。マイルスは『ジャック・ジョンソン』の[[ライナーノート]]中でマクラフリンのプレイを「far in(奥深い)」と表現したように、彼を非常に高く評価していた。同アルバム中の傑作「ライト・オフ」はマイルスがテオ・マセロと長話していたため、飽きたジョンが後にマハビシュヌ・オーケストラの重要ナンバーとなる「ダンス・オブ・マヤ」を弾き始め、それにビリー・コブハム、マイケル・ヘンダーソンが参加してセッションが始まり、後にマイルスも加わったものである。
 
また当時交流のあった[[ミロスラフ・ヴィトウス]]、[[カーラ・ブレイ]]、[[ウェイン・ショーター]](初めてのコルトレーンのライブを一緒に観に行った友人でもある)、[[ラリー・コリエル]]、[[ジョー・ファレル]]などのアルバムに参加している。
 
[[1970年]]初頭にダグラス・レコード社から2作目のアルバム『ディボーション』を発表。3作目『マイ・ゴールズ・ビヨンド』でインド音楽に傾倒した初期のスタイルを確立する。これには、彼が当時、[[ヒンドゥー教]]に改宗して、その高名な指導者である[[シュリ・チンモイ]]師の弟子となったことが大きく影響している。このアルバムはチンモイに捧げられ、ライナーノートには彼の作った詩が掲載されている。この作品はパット・メセニーにも大きな影響を与えた。ちなみにマクラフリンが初めて自分の名前に「マハヴィシュヌ」を付け加えたアルバムでもある。なお、マクラフリンは5年ほどで「自分を欺いてまで弟子でいることはできない」と感じ、チンモイのもとを離れたが、チンモイの没後のインタビューでは「彼が生涯のグルであることに変わりなく、その後もときどきは訪ね、良好な関係を続けていた」「僕は今もチンモイ師と強い結び付きを感じている」と語っている<ref>{{Cite book |和書|date=2009-02-08 |title=ジャズギター・ブックVol.20 |publisher=[[シンコーミュージック・エンタテイメント]] |page=8 |isbn=978-4-401-63278-7}}</ref>。
 
1970年の終わりにリーダーのマイルス・デイヴィスから「自分のバンドを持て」と告げられ、当初は大いに戸惑うも発奮し、[[1971年]]マクラフリンは自己バンドの'''[[マハヴィシュヌ・オーケストラ]]'''を結成。初期メンバーはマクラフリンと、[[ジェリー・グッドマン]]([[ヴァイオリン]])、[[ヤン・ハマー]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])、[[リック・レアード]]([[ベース (弦楽器)|ベース]])、[[ビリー・コブハム]]([[ドラムセット|ドラム]])。当時ジャズには珍しいヴァイオリンを入れたのは「母の楽器だから」とジョンは語っている。またヤン・ハマー加入にも経緯があり、バンド結成計画と同時期にジョンはミロスラフ・ヴィトウスを通じてウェザーリポートの結成メンバーにも誘われておりいたが、「自分のバンド結成はマイルスの命令だから」と断ると、親友だったヴィトウスはそれを了承し、そのうえでヤン・ハマーをジョンに紹介した。
 
アルバム『[[内に秘めた炎]]』『[[火の鳥 (マハヴィシュヌ・オーケストラのアルバム)|火の鳥]]』などの中で、彼らは[[ジャズ]]・[[インドの伝統音楽|インド音楽]]・[[ロック (音楽)|ロック]]等を独特の高度な[[アンサンブル]]で融合させることにより大成功を収めた(スタジオミュージシャンを辞めて以来初の商業的成功だったとジョンは語っている)。また、1972年には、同じくシュリ・チンモイに弟子入りしたラテン・ミュージシャンの[[カルロス・サンタナ]]と2人でコラボレーション・アルバム『[[魂の兄弟たち]]』を録音し、[[ジョン・コルトレーン]]の[[カバー]]曲などを収録した<ref>{{Cite web |url=https://www.allmusic.com/album/love-devotion-surrender-mw0000195600 |last=Jurek |first=Thom |title=Love Devotion Surrender - John McLaughlin, Santana, Carlos Santana |publisher=AllMusic |accessdate=2019-06-19}}</ref>。マハヴィシュヌ・オーケストラは、一度の一時的解散(1973年)と幾度かのメンバーチェンジを経て、最終的には[[1975年]]に解散するが、彼らの成功は[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]というジャンルの発展に大きく貢献し、[[1970年代]]の[[ジャズ・ロック]]シーンにおいて最重要グループとなった。ジョン・アバークロンビーやラルフ・タウナーらもキャリア期にはマハヴィシュヌ・オーケストラのカバーバンドで活動していた程である。
 
マハヴィシュヌ・オーケストラの解散と前後して、マクラフリンは前述のNYで知り合ったインド人音楽家たちと一緒に{{仮リンク|シャクティ (バンド)|label=シャクティ|en|Shakti (band)}}というバンドを結成した。シャクティでの彼はシンプルなカスタムメイドのアコースティックギターを用い、[[ワールドミュージック]]のはしりとでもいうべきインド音楽をジャズでマクラフリンらしい超絶技巧アレンジした演奏を行なった商業的にはマハヴィシュヌオーケストラほどの成功はしなかったが、欧米だけではなく[[インド]]国内などでも演奏活動を繰り広げて非常に高い音楽的評価を受けたが、商業的には成功しなかった。
 
1979年、[[パコ・デ・ルシア]]、[[ラリー・コリエル]]と組んでトリオを結成する。1980年にはコリエルが去り、その代わりとして[[アル・ディ・メオラ]]が加入する(この二人はこのあともその時々の都合で入れ替わる。1981年の日本公演にやってきたのはコリエル)。それまで先進的な音楽性を評価されることが多かったマクラフリンだが、このグループでの演奏によって自身のヴァーチュオーゾ的技術を広く認知させ、以降その完成された技術を前面に押し出す音楽性を打ち出していく。この3人のトリオは商業的にも大成功を収め、1996年にも再結成され、レコーディングと世界ツアーを行い、世界三大テノール主催共演チャリティコンサートに招待され
 
1980年代には、メンバーを新たにしたマハヴィシュヌ・オーケストラを再結成し、ライブ活動を行っている。この時の映像はDVDとして発売されており、彼は[[シンクラヴィア]]というシンセサイザーのギター型コントローラーを多用している様子を見ることができる。
 
[[1980年代]]終わりから[[1990年代]]の初め、彼は[[ガットギター]]に[[シンセサイザー]]を同調させた楽器を使い、[[パーカッション]]奏者の[[トリロク・グルトゥ]]、[[ベース (弦楽器)|ベース]]奏者の[[カイ・エクハルト]]、[[ドミニク・ディ・ピアッツァ]]と組んでツアーを行い、アルバム『ジョン・マクラフリン・トリオ・ライブ』『ケ・アレグリア』を発表。また[[ロンドン交響楽団]]をバックにしたアルバム『ギター・コンチェルト:地中海』を発表するなど精力的に活動。そして1995年にはこれまでの活動を集大成した金字塔となるアルバム『ザ・プロミス』をリリースし、ロック・ギタリストの[[ジェフ・ベック]]との共演が話題となった。ジェフ・ベックはジョンの旧友で特にマハビシュヌ・オーケストラから非常に大きな影響を受けており、また『ワイアード』アルバムのジャケットで持っている白いストラトはジョンが与えたものである。
 
その後、エレクトリック・サウンドのハート・オブ・シングス・バンドの活動や、シャクティの元メンバーに新規加入メンバーを加えて[[リメンバー・シャクティ]]として活動した。2004年と2007年に[[エリック・クラプトン]]主催の、クロスロード・ギター・フェスティバルに参加。2007年には、[[ゲイリー・ハズバンド]]、[[アドリアン・フェロー]]、[[マーク・モンデシール]]と共に、ジョン・マクラフリン & 4thディメンションとしてワールドツアーを行った。2008年10月には[[チック・コリア]] & ジョン・マクラフリン ファイヴ・ピース・バンドとしてワールドツアーを行い、2009年2月には[[ブルーノート (ジャズ・クラブ)|ブルーノート東京]]でも公演を行った。2010年開催「[[第52回グラミー賞]]」において、[[チック・コリア]]と共同名義のアルバム『[[ファイヴ・ピース・バンド・ライヴ]]』で「最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム」を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://www.grammy.com/grammys/artists/john-mclaughlin-five-peace-band |title=John McLaughlin Five Peace Band - Artist |publisher=Recording Academy |work=GRAMMY.com |accessdate=2020-06-19}}</ref>。