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『'''潜水服は蝶の夢を見る'''』(せんすいふくはちょうのゆめをみる、原題: ''Le Scaphandre et le Papillon''『潜水鐘と蝶』 英題: ''The Diving Bell and the Butterfly'')は、[[ジャン=ドミニック・ボービー]]の回顧録、及びそれを原作とした[[フランス映画]]。
 
== 概要 ==
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| 監督 = [[ジュリアン・シュナーベル]]
| 製作総指揮 = [[ジム・レムリー]]<br/>[[ピエール・グルンステイン]]
| 製作 = [[キャスリーン・ケネディ (映画プロデューサー)|キャスリーン・ケネディ]]<br/>[[ジョン・キリク]]
| 脚本 = [[ロナルド・ハーウッド]]
| 出演者 = [[マチュー・アマルリック]]<br/>[[エマニュエル・セニエ]]<br/>[[マリ=ジョゼ・クローズ]]<br/>[[アンヌ・コンシニ]]<br/>[[マックス・フォン・シドー]]
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===スタッフ===
* 監督:[[ジュリアン・シュナーベル]]
* 製作:[[キャスリーン・ケネディ (映画プロデューサー)|キャスリーン・ケネディ]]、[[ジョン・キリク]]
* 製作総指揮:[[ジム・レムリー]]
* 脚本:[[ロナルド・ハーウッド]]
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ジャン=ドミニック・ボービーの没後、回顧録の著作権は彼の未成年の子供たちが相続し、母親(ボービーとは結婚していない)で実業家のシルビー・デ・ラ・ロシュフコーが子供たちの代理人を務めることになった。ロシュフコーは[[Canal+]]の傘下で[[m:fr:Jimmy (chaîne de télévision)|Jimmy]]というチャンネルを運営する経営者でもあった。
 
映画化権は出版社の[[m:fr:Éditions Robert Laffont|Éditions Robert Laffont]]から[[スティーヴン・スピルバーグ]]と[[ドリームワークス]]に売却され、レインマンでアカデミー賞を受賞した[[ロナルド・バス]]が脚本を手掛けることになった。その後映画の制作はドリームワークスから[[パテ (映画会社)|パテ]]に移り、数多くのスピルバーグ作品を手掛けてきた[[キャスリーン・ケネディ (映画プロデューサー)|キャスリーン・ケネディ]]がプロデュースすることになった。ケネディは[[ロナルド・ハーウッド]]に脚本の書き直しを依頼し、監督に[[ジュリアン・シュナーベル]]を起用した。
 
当初は[[ジョニー・デップ]]が主演を務めるアメリカ映画として制作される予定だったが、デップが[[パイレーツ・オブ・カリビアン]]の撮影スケジュールとの兼ね合いで降板。その後シュナーベルはボービーの人生と物語に忠実に向き合うため、フランス語で制作するようスタジオを説得し、スピルバーグの[[ミュンヘン (映画)|ミュンヘン]]に出演した経験のある[[マチュー・アマルリック]]がボービー役に起用された。撮影は[[シンドラーのリスト]]や[[プライベート・ライアン]]でスピルバーグと長年コンビを組んできた[[ヤヌス・カミンスキー]]が担当し、ボービーが実際に最期を過ごした[[m:fr:Hôpital maritime de Berck|ベルク海事病院]]で[[ロケーション撮影]]が行われた。
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* [[サンフランシスコ映画批評家協会賞]]:外国語映画賞
* [[ブロードキャスト映画批評家協会賞]]:作品賞、監督賞(ジュリアン・シュナーベル)、外国語映画賞
* [[女性映画ジャーナリスト連合EDA賞]]:編集賞、外国語映画賞、年間優秀女性賞([[キャスリーン・ケネディ (映画プロデューサー)|キャスリーン・ケネディ]])
* [[ラスヴェガス映画批評家協会賞]]:外国語映画賞
* [[セントルイス映画批評家協会賞]]:外国語映画賞