削除された内容 追加された内容
追記
137行目:
==== アントレプレナーシップ教育 ====
[[立教大学大学院経営学研究科・経営学部|経営学部]]<ref group="注釈" name="College_of_Business"/>の前身の一つである社会学部産業関係学科が属した[[立教大学大学院社会学研究科・社会学部|社会学部]]では、多くの起業型経営者が師と仰ぐ[[野田一夫]]が経営概論を教え、ゼミでは現代産業企業論としてベンチャー企業の育成を教えた。ゼミの授業では、毎週当時のベンチャー企業経営者を呼んで、ケーススタディを行っていたが、その経営者の中には、[[ソフトバンク]]の[[孫正義]]、[[パソナ]]の[[南部靖之]]、[[ぴあ]]の[[矢内廣]]などがいた<ref>[https://agora-web.jp/archives/2031183.html アゴラ言論プラットフォーム]</ref><ref>[https://prdx.co.jp/philosophy/supporters/noda/ 『野田一夫氏インタビュー』 株式会社パラドックス]</ref>。
野田は、当時の大学教授としては珍しく、コンサルタント業を営み、ニュービジネス協議会の初代会長も務めるなど、学生だけでなく当時のベンチャー企業経営者の多くが野田の指導を受けていたのである。授業で行っていたケーススタディもMBAビジネススクールでは一般的な教育プログラムであるが、当時の日本の大学の学部教育においては画期的なものであった。こうしたアントレプレナーシップ(起業家精神)教育は、当時の1980年代初頭の日本ではどこも行っておらず、日本での教育のさきがけであった{{Refnest|group="注釈"|当時の1980年代初頭の日本には、アントレプレナーシップ(起業家精神)教育は存在していなかった。日本ではアントレプレナー(起業家)の育成は中小企業で行っており、アントレプレナーの先生はアントレプレナーであり、大学で教授が教えることはなかったのである。当時のアントレプレナーはブルーカラーの世界だったが、徐々にホワイトカラーの方に移っていく契機となったのが、ベンチャー企業であった。知的レベルが上がっていくとビジネススクールでスキルを教える必要性が出てきたのである。1992年になると、[[法政大学]]大学院に企業家教育コースが開講し、人気を集め、ほぼ同時期に[[早稲田大学]]教授の松田修一がアントレプレナー研究会を始めて、ようやく起業家教育が全国に広がっていくこととなった。また、立教大学教授を1989年3月に定年退職した[[野田一夫]]は、同年4月に開校した[[多摩大学]]の初代学長として、ベンチャー型起業家を生み出すアントレプレナー教育を開始し、その後、学長となった[[事業構想大学院大学]]でも教育の基本に据え、立教大学でさきがけとして始めたアントレプレナーシップ教育を拡大していった<ref>[http://www.venture-ac.ne.jp/award/award_k/2012/ 日本ベンチャー学会『2012年 第7回清成忠男賞 受賞者・受賞論文』]</ref><ref>[https://core.ac.uk/download/pdf/267849252.pdf 『多摩大学におけるベンチャー教育の一つの試み』望月照彦 多摩大学 経営・情報研究No.1 1997年]</ref>。}}。<br />
また、野田は、[[ピーター・ドラッカー]]を日本へ紹介した人物としても知られ、立教大学に赴任した翌年の1956年にドラッカーの『The Practice of Management 』を翻訳し、『現代の経営』を出版し、日本の経営者たちに大きな影響を与えることとなった。その後も野田はドラッカーと深い親交を持ち続けた<ref name="topmanagement"/><ref>[https://diamond.jp/articles/-/104191 『ドラッカーとも親交があった経営学の重鎮が語る卓越したリーダーの条件』 DIAMOND online]</ref><ref name="r-keizaijin20170801"/>。野田はドラッカー学会の顧問を務めるが、同会で学術顧問を務める[[一橋大学]]名誉教授の[[野中郁次郎]]は、ドラッカーの功績の一つとして「マネジメントとは[[リベラル・アーツ]]なのだ」と提唱したことを挙げ、マネジメントを教養と捉えている{{Refnest|group="注釈"|野中は、マネジメントは新たな教養であるとし、以下のようにに述べている。「ドラッカーという人と思想を見ていくときに、哲学・歴史・文学からのとらえ方も有効であろう。それともう一つ、マネジメントとは[[リベラル・アーツ]]なのだということを提唱したのが、ドラッカーの見逃しえない功績と思う。豊かな現実を経験しながら、同時にその現実の背後にある本質を直観する。それを言語化するときの基礎が教養、リベラル・アーツである。生き生きとした現実、プロセスのなかで本質を直観することは、科学のみになしうることではない。人間の生き方に深く関わる洞察であるがために、科学よりはむしろリベラル・アーツである。すなわち、アートとなる。マネジメントを教養とするのはまさにそのためである。」<ref>[http://drucker-ws.org/aboutdrucker/voices/ ドラッカー学会 各界からの声]</ref>}}。立教大学の教育の根本はリベラルアーツ教育であるが<ref>[https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/topics/2017/mknpps0000007h31.html 特集:深化するリベラルアーツ 「完成期」における教養教育]</ref>、ドラッカーのいうマネジメントを学ぶことはリベラルアーツを学ぶことに他ならないといえる<ref>『ドラッカー 教養としてのマネジメント』ジョゼフ・A・マチャレロ、カレン・E・リンクレター 日本経済新聞出版 2013年3月26日</ref>。<br />
野田が創った立教大学のアントレプレナーシップ(起業家精神)教育は、現在の経営学部を中心とする経営学教育にも受け継がれ、若手の起業家を生んでいる<ref>[https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/alumni/2021/mknpps000001r3yh.html 「若手起業家が語る!『起業』という選択」]</ref>。2000年には米[[マイクロソフト]]創業者の[[ビル・ゲイツ]]に名誉博士号を授与し、大学のタッカーホールで立教学院創立125周年記念特別講演が開催されている{{Refnest|group="注釈"|name="Bill"|ビル・ゲイツは、「今日は名誉ある博士号授与だけでなく、皆さんとの対話を楽しみにして来た。私自身は大学を卒業できなかったのでうれしい。父は喜ぶだろう。」と講演の冒頭で語った。}}。{{clear}}
 
==== データサイエンス教育・研究推進 ====