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=== 食料雑貨店開業(1820-1857) ===
[[ファイル:Johnnie Walker statue, Kilmarnock, Scotland.jpg|代替文=|サムネイル|240x240ピクセル|創業者ジョン・ウォーカー]]
創業者'''ジョン・ウォーカー'''(''John Walker'')は、1805年に[[スコットランド]]の[[キルマーノック]]の町で生まれた。1819年に農場経営者である父親を亡くし、運営が困難となった農場を売却したウォーカー家は、その資金で翌1820年に食料雑貨店をキルマーノックの大通りに開いた。これがジョンウォーカー&サンズ社(''John Walker & Sons'')の創業とされ、当時15歳のジョンは家族の大黒柱として店を切り盛りした。1823年に酒税が引き下げられ、この機会を掴んだジョンは様々なアルコール飲料を販売して大きな利益を上げた。1825年以降になるとウイスキー販売を事業の中心にするようになり、ジョン自身も蒸留所を開設した。やがて品質の安定を重視したジョンは、他の蒸留所のモルト原酒も取り寄せてヴァッティング{{efn2|大麦麦芽(モルト)のみ使用した「モルトウイスキー」の原酒同士を混和する作業。モルトウイスキーと、モルト以外の穀物を主原料にした「グレーンウイスキー」を、又はグレーンウイスキー同士の原酒を混和することを「ブレンディング」という。因みに「ヴァト(vat)」とは、醸造などに使用する大きな桶を意味する。}}したものを自家ブランド[[スコッチ・ウイスキー|スコッチウイスキー]]の成形にし、これは'''ウォーカーズ・キルマーノック'''(''Walker's Kilmarnock Whisky'')と名付けられて一定の知名度を獲得した。ジョンは1857年に死去し、息子のアレクサンダーが事業を引き継いだ。
 
「ジョン・ウォーカーはウイスキー製造の礎を築いたが、それを世界的なブランドにまで高めたのは息子のアレクサンダーと孫のアレクサンダー2世の功績である。ジョンはウイスキー製造と並行して様々な酒類をも取り扱っていた。アレクサンダーは小売販売をやめて自家製造と卸売業に専念すべきだと父親を説得した。ジョン時代のウイスキー製造事業は会社利益の8%を占めるに過ぎなかったが、アレクサンダー時代には会社が急成長する中で利益の90%以上を稼ぎ出す様になった。」(引用:[[#References|''Giles MacDonogh'']])
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=== 日本国内 ===
日本では「ジョニ黒」「ジョニ赤」の愛称で親しまれており、昭和期の日本では庶民の憧れとして大衆文化にもしばしば登場した。1957年においてのジョニ黒の実売価格は1万円であり、これは当時の大卒初任給二ヶ月分に相当した。1985年頃になると海外旅行者の増加に伴う免税品の利用から入手し易くなり、更に1989年に[[消費税]]が導入されると[[物品税]]とウイスキーの等級制度がそれぞれ廃止された、更に購入し易くなった。2019年現在は「ジョニ黒」の場合、実売価格2,500円前後(「ジョニ赤」は実売価格1,200円前後)で購入出来る。2009年10月、日本国内の輸入販売元が[[ディアジオ|ディアジオ・ジャパン]]から[[麒麟麦酒]](2代目法人)<ref>{{efn2|当初は赤ラベルと黒ラベル12年のみ移行したが、後にダブルブラックと緑ラベル15年、金ラベル、プラチナラベルも順次移行した。</ref>}}に移行した<ref>Hughes, John (2005). ''Still Going Strong: A History of Scotch Whisky Advertising'', Tempus Publishing Ltd., ISBN 0-7524-3174-9</ref>。
 
== ブレンド一覧 ==
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
<references/>
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=== 出典 ===
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== 参照 ==