「ジャック・ハウエル」の版間の差分

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{{by|1993年}}は、数字的には前年よりも劣ることとなったが、勝負強さは前年より増しており、当時日本記録だった1シーズン[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]ホームラン3本を軽く塗り替える5本のサヨナラ弾を打ち込み、ヤクルトの15年ぶりの日本一の立役者となった(ちなみに、ヤクルトのチーム全体でもサヨナラ勝利14回、サヨナラホームラン9本という日本記録を打ち立てている)<ref>{{Cite web |title=ヤクルトの“歴代最強”サード5人。球団史を彩る正三塁手の系譜、スワローズレジェンド選手たちの成績は? |url=https://www.baseballchannel.jp/npb/119769/2/ |website=ベースボールチャンネル(BaseBall Channel) |access-date=2022-04-30 |language=ja}}</ref>。
 
同年[[6月8日]]の対巨人戦の初回表、巨人先発・[[宮本和知]]が古田に死球すれすれの球を2球投げ、3球目も内角を投げたところ死球になってしまい、両チームがベンチから飛び出し睨み合いとなった。更に次の打者[[広澤克実|広沢克己]]がフェンス直撃のヒットを放ち一塁ランナーの古田が一気にホームを狙ったがクロスプレーでタッチアウト。そのクロスプレーでタッチの際に捕手の[[吉原孝介]]がスライディングした古田に対して報復とばかりにタッチを連発。それに対しハウエルが吉原に詰めより激怒、遂に両チーム総出の大乱闘に発展してしまう。ハウエル、吉原は暴力行為で乱闘の当事者として共に退場処分となった。また乱闘の際にハウエルが当時巨人のコーチであった[[中畑清]]にヘッドロックをかけられているシーンが珍プレー番組で取り上げられた。尚、その前の試合[[6月6日]]対広島戦では本塁でクロスプレーとなった[[池山隆寛]]が[[西山秀二]]に殴られると乱闘に発展して西山の頭を抑え込んでいた。
 
{{by|1994年}}は、相手球団の投手から徹底的にマークされ、シーズン当初から不振に悩まされる。徐々に慕っていた、当時の監督[[野村克也]]との関係は険悪になっていった<ref>{{Cite web |title=ジャック・ハウエル ヤクルト日本一に貢献し、平成球史を大きく変えた巨人移籍/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 {{!}} 野球コラム |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181219-13 |website=週刊ベースボールONLINE |access-date=2022-04-30 |language=ja}}</ref>。さらにはアメリカ本国の夫人から離婚訴訟を提起されるなど、公私ともに絶不調を極め、シーズン終了後の同年11月8日に退団(事実上の解雇)が発表された。