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'''スウィング・アウト・シスター''' (Swing Out Sister) は、[[イギリス]]のクロスオーバー、ポップ系男女デュオ。ヒットを出した当初はトリオだった。1986年の「[[ブレイクアウト (スウィング・アウト・シスターの曲)|ブレイクアウト]]」 (''Breakout'') や「サレンダー」「セイム・ガール」などのヒット曲で知られている。音楽ジャンルは、[[シンセポップ]],[[ブルー・アイド・ソウル]],[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]],ラテン音楽などに分類できる。バンド名は、公式ホームページや音楽記事などで'''SOS'''と略して表記されることもある。敢えて時流を追わないずに[[1960年代]]の[[モータウン]]を深く参照した[[シンセポップ]]という、新しいとも懐かしいとも付かない音楽性が特徴的である。
 
==来歴==
===結成===
現在は[[デュオ]]であるスウィング・アウト・シスターは、当初は[[キーボード (楽器)|キーボード]]担当のアンディ・コーネル (Andy Connell)、[[ドラムセット|ドラム]]のマーティン・ジャクソン (Martin Jackson) と、後から加わった[[ヴォーカル]]のコリーン・ドリュリー (Corinne Drewery) のトリオで1984年に結成された。バンドの名前は、1945年のアーサー・トリーチャー主演[[映画]]『Swing Out, Sister』からられている
 
===1985年-===
====『''It's Better To Travel''』====
マーキュリー・レコードと契約し、ポール・スティブリー・オードフィーをプロデューサーに迎えデビューアルバム制作を始めたスウィング・アウト・シスターは、デビュー曲となる「ブルー・ムード」 (''Blue Mood'') を1985年11月にイギリスでリリースしたが、チャートインしなかった。しかし、1986年末に発売したシングル「[[ブレイクアウト (スウィング・アウト・シスターの曲)|ブレイクアウト]]」はイギリスチャート4位そして[[アメリカ合衆国|アメリカ]]チャート6位を記録するヒットとなった。続く[[ジョン・サーケル]]の[[トランペット]]ソロが使われた「サレンダー」(''Surrender'') はイギリスチャート最高7位、落ち着いたジャズ調の「トワイライト・ワールド」(''Twilight World'') は多くのミュージシャンの手でリミックスされダンスナンバーともなった。アルバム『[[ベター・トゥ・トラベル]]』は1987年5月11日にイギリスで発売されチャート1位に輝いたとなる。アルバムに、サーケルとともに[[レベル42]]との共演で知られるゲイリー・バーナクル([[サクソフォーン]])、[[エイジア]]とのセッションにも加わったルイス・ジャーディム([[パーカッション]])、ティム・キャンスフィールド([[ギター]])、[[ジェリー・ヘイ]](トランペット、[[フリューゲルホルン]])らも参加した。のちこのアルバムからは「ブレイクアウト」のような陽気なポップ調の「フール・バイ・ア・スマイル」(''Fooled By a Smile'') がシングルカットされた。バンドは、「ブレイクアウト」で1988年の[[グラミー賞]]最優秀新人賞とグループやデュオによる最優秀ポップ・ヴォーカル賞にノミネートされた。
 
『ベター・トゥ・トラベル』は、アレンジを担当したリチャード・ナイルスによって、管楽器・弦楽器調のシンセサイザー、ドラムサウンドや[[木琴]]などを効果的に織り交ぜ、ジャズと当時流行った[[テクノポップ]]を融合させたものとなっている。これは、1950年代後半のナイトクラブ的雰囲気に、テクノポップ調の装いを纏わせたホーンセクション用いたジャズと解釈されている。
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===1989年-===
====マーティンの脱退====
セカンドアルバム『[[カレイドスコープ・ワールド]]』制作中に、「サレンダー」で印象的なドラム演奏を聞かせていた結成メンバーのマーティン・ジャクソンが、音楽観の相違からバンドを脱退した。[[ライナーノーツ]]には"special thanks to Martin Jackson"と記され、「テインテッド」(''Tainted'') や「ビトウィーン・ストレンジャーズ」(''Between Strangers'') の共作者として名を残している。このアルバム以降、スウィング・アウト・シスターはコーネルとドリュリーのデュオ編成となった。
 
====『''Kaleidoscope World''』====
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===1992年-===
『カレイドスコープ・ワールド』発売後、スウィング・アウト・シスターはイギリスや日本などを廻るライブツアーを敢行するなどの日々を過ごし、次回作をリリースするの発売までに3年を要した。
====『''Get In Touch With Yourself''』====
彼らが模索するレトロ的な音楽観は、1992年5月に発売された3枚目のアルバム『ゲット・イン・タッチ・ウィズ・ユアセルフ』のサウンドやイメージの中に顕著に浮かび上がりつつも、上手く融合させることに成功した。全体を通して強いダンスミュージックのテンポで彩りつつも、収録曲の多くは、例えばダスティ・スプリングフィールドの曲を軽やかなアレンジでカバーした「セイム・ガール」(''Am I The Same Girl? '') のように、1960年代から70年代の[[ジャズ]]や[[ポピュラー音楽|ポップス]]、[[ソウルミュージック]]や[[ファンク]]などの影響を受けている。この傾向は以後のアルバムにも強く見られる。70年代のソウルミュージックやモダンポップ調を上手く取り入れているタイトルトラックの「ゲット・イン・タッチ・ウィズ・ユアセルフ」(''Get In Touch With Yourself'') は[[スムーズ・ジャズ]]やアダルト・コンテンポラリーの[[ラジオ]]プログラムで頻繁に紹介された。「[[アム・アイ・ザ・セイム・ガール|セイム・ガール]]」は全英21位、全米45位と久々にシングルでのチャート・ヒットを記録した。
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===1994年-===
====『''The Living Return''』====
前作発売から、4枚目となるアルバム『リヴィング・リターン』が発売された1994年までの間に、バンドを取り巻く環境は大きく変化した。プロデュースはそれまでのオードフィーに代わってレイ・ヘイデンが起用され話題となった。彼は肩の力が抜けたスウィング・アウト・シスター本来の魅力をスタジオ録音で引き出すことに貢献した。バンドの正式メンバーは変わらずコーネルとドリュリーの二人のみであったが、サポートメンバーに52nd Streetでも[[ベースギター]]を担当していたデレック・ジョンソン、[[パーカッション]]担当のクリス・マニス、[[ドラマー]]のマイク・ウィルソン、トランペットのターケルなど総勢10名の豪華なものとなった。この[[音楽ユニット|ユニット]]による演奏は、日本で先行リリースされた[[ライブ・アルバム]]『ベスト・ヒッツ・ライヴ』(''Live at the Jazz Café'') でもくことができる。『リヴィング・リターン』は、往年のソウル・グループであるデルフォニックスの曲をカバーし、映画『[[フォー・ウェディング]]』の[[サウンドトラック#映像作品に伴うアルバムとしてのサウンドトラック|サウンドトラック]]にも加えられたシングル「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラヴ・ユー」(''La La (Means I Love You)'') が収録されている。「オ・ペサデロ・ドス・オートレス」(''O Pesadelo Dos Autores'') は複数の曲(「''Brazilian Rhyme''」「''Come With Me''」「''My Cheri Amour''」「''The Smiling Hour''」「''Butterfly''」)を[[メドレー]]形式にカバーした珍しいものである。
 
===1996年-===
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====『''Shapes and Patterns''』====
[[ロンドン]]と[[東京]]でレコーディングされた『[[シェイプス&パターンズ]]』は1997年に日本で先行発売され、のちに欧米でもリリースされた。オードフィーがプロデューサーとして戻り、収録曲のほぼ半分について共同制作者としても名を連ねている。録音にギャヴィン・ライト率いる[[オーケストラ]]が起用され、バカラックやウエップまたはバリーらと同等に[[ミニー・リパートン]]&ロータリーコネクションや[[フィフス・ディメンション]]の影響を受けた弦楽器の編曲やラテン音楽のリズムなど、『カレイドスコープ・ワールド』的なアレンジが施されているとライナーノーツで触れている。
 
アルバムは、[[ローラ・ニーロ]]の「[[ストーンド・ソウル・ピクニック]]」(''Stoned Soul Picnic'') のカバーや、前作のアルバムからリミックスした「ベター・メイク・イット・ベター」(''Better Make It Better'')、「あなたにいてほしい」、「サムホエア・イン・ザ・ワールド」(''Somewhere in the World'')、「ユー・オールレディ・ノウ」(''You Already Know'')、「アイシュ・コールド・アズ・ウィンター」(''Icy Cold as Winter'') などを収録している。録音にドラマーの[[屋敷豪太]]が加わり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gota.com/work/eachwork/japanese/work_47swingoutsister.html |title=WORKS プログラミング・演奏・アレンジ|publisher=屋敷豪太公式ページ|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>、本格的に日本人ミュージシャンが彼らのアルバム制作に参加する最初の例ともなった。
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===1999年-===
====『''Filth and Dreams''』====
6枚目のスタジオ録音アルバム『[[フィルス&ドリームズ]]』は、以前のアルバムよりもシンプルかつ強くジャズに傾倒しつつ演出過剰を抑えたアレンジが施されており、スウィング・アウト・シスターにとって原点へ回帰し再度自らを発見し直したものとなった。このアルバムは1999年に日本でのみリリースされ、唯一他国での発売に至っていない。収録曲「フーズ・ビーン・スリーピング」(''Who's Been Sleeping'') だけはリミックスされ他国でもシングルが発売された。タイトルトラック「フィルス&ドリームズ」は映画『[[ノッティングヒルの恋人]]』でも使われ、日本発売版サウンドトラック<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.amazon.co.jp/dp/B000063KYU|title=ノッティングヒルの恋人−オリジナル・サウンドトラック|publisher=amazon.co.jp|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>にも収録された。
 
===2001年-===
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通算7枚目となるスタジオ録音アルバム『[[サムウェア・ディープ・イン・ザ・ナイト]]』は[[フランス]]で制作され、2001年5月に日本で先行リリースの後欧米各国でも発売された。このアルバムは1999年7月に[[交通事故]]により急死した、マーキュリー・ミュージック・エンターテインメントの柳田一彦に捧げられた。コーネルとドリュリーは、彼の葬儀に参列するため急遽来日する程に親密な間柄だった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ne.jp/asahi/welcomecats/kuma/fn99/fn99_07.html |title=Fusion News 99/07 |publisher=熊谷美広のページ|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>。
 
アルバム全体のインスピレーションは、スキー旅行で出かけた[[アルプス山脈|アルプス]]の山頂で得た不思議な感覚が元になった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/swing/swing_disco/swing_d_somewhere.html |title=『サムウェア・ディープ・イン・ザ・ナイト』レビュー|publisher= Universal Music|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>と答えている。収録曲は、[[フランス語]]の[[モノローグ]]で構成された「サスペンディッド・イン・タイム」(''Suspended In Time'')や[[器楽曲|インストルメンタル]]、[[歌詞]]の無い[[和声|ハーモニー]]などで構成されている。これは、必ずしも歌詞をつける事にこだわらないバンドの考えが特に前面に出された結果であている。全体を通しては、スウィング・アウト・シスターの真髄とも言える[[金管楽器]]や弦楽器を多用したアレンジが施された曲の中に、時に暗鬱さや気だるさを内包させた旋律重視の曲や内省的な雰囲気を醸し出す曲などを織り込んだ編成となっている。プロデューサーのオードフィーは、全収録曲の共作者としてもクレジットされ、バックコーラスとしても参加している。彼はこのアルバムを評して、「アルプスをスキーで滑り降りる時か、[[モナコ]]の海岸で[[ランボルギーニ]]をドライブしながら聴くのに最適」と答えている。このアルバムから、アメリカの発売元がユニバーサル・レコードの撤退に伴い[[シャナキー・レコード]]へ変わった。
 
2002年に[[アントニオ・カルロス・ジョビン]]をカバーした[[Akiko (ジャズ歌手)|akiko]]のマキシ・シングル「ウォーターズ・オブ・マーチ」(''Waters of March'')をオードフィーと共同でプロデュースし、ロンドンで録音された曲中でコーリンとakikoの[[デュエット]]が聞け聴こえる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.universal-music.co.jp/jazz/j_jazz/akiko/uccj5001.html |title=「ウォーターズ・オブ・マーチ」レビュー |publisher=akiko公式ページ|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>。
 
===2004年-===
====『''Where Our Love Grows''』====
続けて、バンドは8枚目のアルバム制作に取り掛かかり、『ホエア・アワ・ラヴ・グロウズ』は2004年4月28日にやはり先行して日本で、そして7月にイギリスでそれぞれ発売された。[[GQ JAPAN|GQマガジン]]はレビューで、スウィング・アウト・シスター過去最高の出来と絶賛した。アルバムは豊かで陽気なレトロ・サウンドにジャズ・[[ソウルミュージック|ソウル]]・[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]・[[ラテン音楽|ラテン]]・[[イージーリスニング]]が融合した曲に溢れている。いくつかの曲に[[ロジャー・ニコルズ]]の『''The Small Circle of Friends''』やハービー・マンの曲からのサンプリングも使われている。
 
====『''A Few of Our Favorite Things''』====
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===2005年-===
====ワールド・ツアー====
2005年から翌年にかけてスウィング・アウト・シスターはワールド・ツアーを行っ催した。2005年に訪れたイギリス・日本・[[カナダ]]はコーネルが帯同せず、代わりにダン・スワナがキーボードを担当<ref>{{Cite web|和書|url=http://osaka-bluenote.co.jp/obn/schedule/2005_05/swing.html |title= スウィング・アウト・シスター・ライブ2005年5月16日〜18日|publisher=大阪ブルーノート、ライブ案内|language=日本語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>した。公式ページの掲示板に「kinkladze」ユーザー名で書き込まれたコーネル本人のコメント<ref>{{cite web|url=http://www.swingoutsister.com/forums/viewtopic.php?t=1727&postdays=0&postorder=asc&start=15 |title= Forum Index->Tour 2005 |publisher= swingoutsister.com|language=英語|accessdate=2008年6月15日}}</ref>によると、ここ数のコンサートツアー廻りの際に感じていた体の不調が酷くなったために取られた措置とのことだった。これにファンが不満を多く漏らした。2005年末頃から、スウィング・アウト・シスターはロンドンで新譜の制作に取り掛かり始め、これに集中するため2006年に予定されていたアメリカ2度目のツアーはキャンセルされた。
 
===2006年-===