「第一次ベララベラ海戦」の版間の差分

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==背景==
{{seealso|ニュージョージア島の戦い|ベラ湾夜戦}}
{{seealso|ベラ湾夜戦}}
7月5日以降の[[ニュージョージア島]]での戦いでアメリカ軍は、度重なる苦戦や上陸部隊指揮官の入れ替え、可能な限りの予備兵力の投入などを経て<ref>ニミッツ、ポッター、167ページ</ref>、8月5日には[[ムンダ (ソロモン諸島)|ムンダ]]飛行場の占領に成功。しかし、ニュージョージア島に残っていた日本軍はその後も数週間にわたってアメリカ軍を翻弄し、一部兵力は敵わないと見るや[[コロンバンガラ島]]へ逃れて同島の防備隊に加わった<ref name="a">ニミッツ、ポッター、168ページ</ref><ref name="b">ポッター, 363ページ</ref>。
[[第3艦隊 (アメリカ軍)|第3艦隊]](南太平洋部隊)司令官[[ウィリアム・ハルゼー]]大将やその幕僚たちは、ムンダ占領には一応の満足を示したものの、その経過については極めて不満であり<ref name="b" />、これ以上[[ジャングル (森林の型)|ジャングル]]での戦闘を重ねるべきではないという考えすら芽生えていた<ref name="c">ポッター, 365ページ</ref>。次の攻略目標はコロンバンガラ島{{仮リンク|ヴィラ (ソロモン諸島)|en|Vila, Solomon Islands}}にある日本軍飛行場であったが<ref name="a" />、増援が重ねられていたコロンバンガラ島の兵力は相当なものであると見積もられていた{{Sfn|戦史叢書40巻|1970|pp=383a-385|ps=ベララベラ攻略計画}}。そこでハルゼー大将は、[[アリューシャン方面の戦い]]で[[キスカ島]]より西方の[[アッツ島]]を攻略した先例に倣い、コロンバンガラ島を無視して、その西方にあり防御が手薄な[[ベララベラ島]]を攻略することに決めた{{Sfn|戦史叢書40巻|1970|p=384}}<ref>ポッター, 366ページ</ref>。ハルゼー大将は作戦計画変更のため、南西太平洋方面総司令官[[ダグラス・マッカーサー]]大将の下に[[オーブリー・フィッチ]]少将を派遣して作戦計画変更の承認を何とか取りつけ、ベララベラ島攻略が正式に決まった<ref>ポッター, 366、367、368ページ</ref>。