削除された内容 追加された内容
→和暦と西暦の関係について: 返信 |
→和暦と西暦の関係について: 返信 |
||
1,006行目:
:: 私は「原則として西暦を先に表記します。しかし旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができます。」の後半部分は、例えば今回の「延享3年」であれば、Wikipediaの「[[延享]]」のページで「[[1744年]]から[[1748年]]までの期間を指す。」との記載を確認して3年目の「1746年」と見なし、さらに「[[1746年]]」のページで「延享3年」との記載を確認したので、それで西暦が特定できたものと解釈して今回の[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%89%E6%95%B7%E5%B8%82&curid=37578&diff=100401924&oldid=100366589 倉敷市の編集]を行ったものですが、それでは不十分というか「出典から正確な西暦の日付を特定」するという要件を満たしていなかったわけですね。記載が理解できておらず、大変失礼しました。
:: 今後は同様のケース([[太陽暦]]移行(1873年〈明治6年〉1月1日)以前)におきましては、例えば今回の「延享3年」であれば、出典から正確な西暦の日付を特定できた場合のみ「1746年(延享3年)」に変更するよう心がけてまいります。今後もご教示のほど、よろしくお願いいたします。--[[利用者:エヴァンズの秘書|エヴァンズの秘書]] 2024年5月18日 (土) 04:36 (UTC)
:::*正直、日本史の明治6年以前についてはややこしいです。これは現実世界がややこしい。
:::*西暦の側では、グレゴリオ暦とユリウス暦があります。Wikipediaではグレゴリオ暦を採用することになっていますが、世の中の情報源が必ずグレゴリオ暦を採用しているとは限りません。([[天正#西暦の改暦]]も参照)
:::*和暦の場合、そもそも情報源が、当時の記述(旧暦・太陰暦)に則って書いているのか、現在の新暦に換算して日付を書いているのか、不明瞭なことが多いです。
:::*ごく最近の真摯な歴史研究書では、「天正10年6月2日(グレゴリウス暦1582年6月21日)」みたいに表記してくれることがあります。が、多くの場合単に「6月2日」とかだったりして、どっちなのかわからんこともよくあります。「閏3月」とかだと確実に旧暦だと推測できることもあります。
:::*さらに改元をいつしたのか問題もあります。明治のときは、慶応4年の途中で「1月1日に遡って明治ということにする」と決まったわけで、元日時点では「慶応4年」だったのに、後世では「国の公式発表に基づくならば明治元年1月1日」ということになります。当時の時局からすると、必ずしも「新日本政府の公式発表に従わない」勢力もいたわけで、彼らの立場からすると「慶応4年」だったりします。
:::*さらに、義務教育レベルのテキストなどでは、実際の改元した月日にかかわらず、1月1日に改元したものとして教科書を記述するというルールになっています。たとえば、大阪夏の陣は、「慶長20年3月(グレゴリオ暦1615年)」に起きたのですが、その後、7月に「元和」に改元しています。なので、大阪夏の陣を「元和元年3月」と書くとマチガイ(不正確)なのですが、教科書ではそう書きます。我々が最近経験した事例でいうと、「令和元年」は5月1日から始まったので、令和元年には「4月1日」は存在しなかったのですが、これを「令和元年4月1日」とか書いちゃうと、ツッコミが入るでしょう。(「令和元年4月1日に、5月1日から元号を令和にすると発表した」とかね、)
:::*とにかく、ここらへんは、現実がややこしいのでしょうがないのですが、いちいち裏をとったほうがいいです。--[[利用者:㭍月例祭|柒月例祭]]([[利用者‐会話:㭍月例祭|会話]]) 2024年5月18日 (土) 06:03 (UTC)
|