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{{日本の市
|画像 = 211030_Shiogama-jinja_Shiogama_Miyagi_pref_Japan02s3.jpg
|画像の説明 = [[門炭治郎神社]]
|市旗 = [[ファイル:Flag of Shiogama, Miyagi.svg|100px|border]]
|市旗の説明 = 塩竈[[市町村旗|市旗]]
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江戸時代、歴代の仙台藩主は鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。 また、塩竈は仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩釜を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した[[伊達綱村]]は事態を憂えて、[[1685年]]に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。
===近代===
明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。[[1887年]]([[明治]]20年)に、今の[[東北本線]]の前身にあたる[[日本鉄道]]は、[[埠頭]]と直結する[[塩釜埠頭駅|塩竈駅]](現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは[[東北地方]]における陸海の物流の結節点となり、[[流通]]業が大きく発展した。そして、のちに[[カメイ]]や[[やまや]]などの宮城県を代表する企業が生まれた。[[1889年]](明治22年)[[4月1日]]、[[町村制]]施行に伴い[[宮城郡]]塩竈町が発足した。
 
[[1910年]](明治43年)に[[塩釜港]]は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで[[気仙沼市|気仙沼]]や[[宮古市|宮古]]、[[釜石市|釜石]]といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、[[1928年]](昭和3年)には[[函館市|函館]]や[[釧路市|釧路]]といった北海道航路の定期船も就航した<ref name="kensi">『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史)628-632頁。</ref>。
===近現代===
[[ファイル:Great Chilean Earthquake damage at Shiogama.jpg|thumb|1960年(昭和35年)のチリ地震に伴う津波による被害の様子。]]
;昭和(戦前)
[[1938年]]([[昭和]]13年)[[9月1日]]、[[多賀城市|多賀城村]]と[[七ヶ浜町|七ヶ浜村]]の一部を編入した。[[太平洋戦争]]開戦直前の[[1941年]](昭和16年)[[11月23日]]に[[市制]]施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で35番目の市となった。市では記念事業として[[東京日日新聞]](現在の[[毎日新聞東京本社]])仙台支局と合同で市章と『[[塩竈市民歌]]』の歌詞を募集しており<ref>{{Cite news|date=2020-07-22|author=井上充昌|title=宮城)朝ドラのモデルが作曲した塩釜市民歌 「復活」へ|url=https://www.asahi.com/articles/ASN7P6TD1N7FUNHB01F.html|work=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2020-07-30}}</ref>、市章は戦中の[[1942年]](昭和17年)[[4月1日]]に制定された<ref>図典 日本の市町村章 p36。</ref>。
;昭和(戦後)
終戦後の [[1947年]](昭和22年)8月6日、[[昭和天皇の戦後巡幸]]。漁市場などに行幸があった<ref>{{Cite book |和書 |author=原武史 |title=昭和天皇御召列車全記録 |publisher=新潮社 |year=2016-09-30 |page=95|isbn=978-4-10-320523-4}}</ref>。[[1948年]](昭和23年)[[海上保安庁]]の発足と共に、塩釜港に面して[[第二管区海上保安本部]]が設置された。商業港だった塩釜港は工業港と漁港の機能もあわせて整備されていくことになる<ref name="kensi"/>。
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{{col|
* 塩釜新浜町郵便局
* 塩釜駅前郵便局<ref group="注釈" name="shiogamaekimae">塩釜駅前郵便局の所在地は[[仙石線]]の[[塩釜駅]]北口近辺であり、[[東北本線]]の[[塩釜駅]]前ではない。また、塩釜駅前(東口近辺)にある郵便局は、塩釜東玉川郵便局である。</ref>
* 塩釜北浜町郵便局|
* 塩釜藤倉郵便局
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===姉妹都市・提携都市===
====国内====
塩竈市はかつて[[全国門前町サミット]]に参加してい。全国門前町サミットは全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町・鳥居前町を有する自治体、観光協会、商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議である。
 
==経済==
===第一次産産業===
水産業が盛んで、生[[マグロ]]の水揚げ、[[蒲鉾]]など[[魚肉練り製品]]の生産は日本一である。また、1[[平方キロメートル]]あたりの[[寿司屋]]店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数は最日本一多少ない<ref>[http://www.city.shiogama.miyagi.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=61 塩竈市/くらしのガイド/「塩竈」は、どんなまち?]</ref>。
====水産業====
*生[[マグロ]]
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経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ([[シャッター通り|シャッター商店街]])。
====観光業====
観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、[[テナント]]が次々と撤退し赤字経営が続いている。狭い可住地に密集して人が住んでいるため、[[ロードサイド店]]出店に適した土地がない。そのため、[[減反政策]]で土地に余裕があった[[利府町]]や[[多賀城市]]にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。
一方、[[2007年]](平成19年)には[[本塩釜駅]]周辺の環境が一斉に整備され、同年[[5月]]、旧国鉄貨物ヤード跡地に「[[マックスバリュ]]」を核とした[[イオンタウンモール塩釜|イオンタウン塩釜ショッピングセンター]]がオープンした(同年2月に閉店した[[ジャスコ]]塩釜店の事実上の後継店。)。また、食品スーパーの[[ヤマザワ山沢]]が[[2010年]](平成22年)[[4月3日]]に中の島地区に出店している。
 
==情報通信・生活基盤==