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== 人物 ==
マリア・テレサは1780年にスペイン王室に連なる父[[ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ|ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン]]と[[アラゴン州|アラゴン]]の下級貴族出身の妻[[マリア・テレサ・デ・バリャブリガ|マリア・テレサ・デ・バリャブリガ・イ・ロサス]]との間に生まれた。父ルイス・アントニオは国王フェリペ5世の息子であったが、王位を欲しため[[カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世]]に嫌われていた。また身分違いの結婚([[貴賤結婚]])をしたため、その子供であるマリア・テレサやその兄妹は王室から除外されていた。一家は{{ill|アレナス・デ・サン・ペドロ|en|Arenas de San Pedro}}での隠遁生活を強いられたが、1785年、マリア・テレサ彼女がわずか5歳のときに父が死去すると、妹{{ill|マリア・ルイサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガ|es|María Luisa de Borbón y Vallabriga|label=マリア・ルイサ}}とともに[[トレド]]の{{ill|サン・クレメンテ修道院 (トレド)|en|Convento de San Clemente, Toledo|label=サン・クレメンテ修道院}}に送られた。しかしカルロス3世の死から9年が過ぎた1797年、マリア・テレサは修道院を出て、[[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]の首相[[マヌエル・デ・ゴドイ]]と結婚した。これにより彼女とその家族は王室への復帰が認められ、マリア・テレサはボアディージャ・デル・モンテ女侯爵とチンチョン女伯爵の称号を名乗ることを許された。現存するマリア・テレサとマヌエル・デ・ゴドイがそれぞれ王妃[[マリア・ルイサ・デ・パルマ]]に宛てた手紙は、夫婦の関係が良好であったことを示している。<!--「国王陛下が絶えず与えてくださる栄誉にどれほど感謝しているかを十分に満足のいく形で表現する方法が見つかりません・・・正直に告白します、奥様、平和の発表は私にこの上ない喜びをもたらし、夫の振る舞いを見て二重に幸せであり、またすぐに会えるという希望を抱いています。なぜなら私は自分自身よりも言葉では言い表せないほど夫を愛しているからです。私は彼なしでは生きていけません」。-->彼女は1800年に娘{{ill|カルロッタ・ルイサ・デ・ゴドイ (第2代スエカ女公爵)|en|Carlota de Godoy, 2nd Duchess of Sueca|label=カルロッタ・ルイサ・デ・ゴドイ・イ・ボルボーン}}を出産。1808年、{{ill|アランフエス暴動|en|Tumult of Aranjuez}}により兄{{ill|ルイス・マリア・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガ|en|Luis María de Borbón y Vallabriga|label=ルイス・マリア}}とともにトレドに逃げた。1824年に兄が死去すると[[パリ]]に亡命、4年間の闘病の末に死去した<ref name=P /><ref name=FG />。
 
== 制作背景 ==
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== 作品 ==
[[File:Goya - María Teresa de Borbón y Vallabriga, later Condesa de Chinchón.jpg|thumb|210px|ゴヤの『後のチンチョン女伯爵マリア・テレサ・デ・ボルボーン・イ・バリャブリガの肖像』。1783年。[[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ナショナル・ギャラリー・オブ・アート]]所蔵<ref name=NGW />。]]
ゴヤは娘カルロッタを身ごもった21歳の女伯爵マリア・テレサを描いている。彼女は暗い背景の前に深いネックラインの白いシフォンドレスを着て、金色のアームチェアに座っている。豊かな[[ブロンド]]の巻き髪は後ろで束ね、[[小麦]]の穂と緑色の[[羽根]]の装飾品で飾っている<ref name=FG />。身体の前で組んだ左右の手には異なる[[指輪]]をはめている。左手にはめているのは[[ダイヤモンド]]の指輪であり、これに対して右手の中指の大きな指輪には{{ill|カルロス3世勲章|en|Order of Charles III}}を身に着けた夫マヌエル・デ・ゴドイの[[ミニアチュール]]の肖像画がはめ込まれた大きな指輪をはめている<ref name=P /><ref name=FG />。
 
ゴヤはマリア・テレサの内気で、やや空想にふけりがちな性格を描写している。また温かみのある色調を使用することで繊細さと優雅さを高めている<ref name=FG />。正確かつ明確な筆遣いで左手の指輪の中央のダイヤモンドの輝きを強調する一方、右手の指輪のゴドイの肖像画を非常に大ざっぱに描いている<ref name=P />。
 
肖像画のモデルがマリア・ルイサである主な根拠は、1800年4月22日から5月初旬にかけて交わされたマリア・ルイサとゴドイの往復書簡が主な資料となっていである。手紙はマリア・テレサが妊娠したことを明らかにしており、ゴドイが「医者がめったに訪ねてこないので」無事に出産が無事に終わると確信していたことを伝えている<ref name=P />。マリア・テレサが身に着けた小麦の頭飾りは当時流行していた女性の装飾品と一致しているが、ここでは特に[[古代ローマ]]の大地の女神[[ケレース|ケレス]]象徴しており、豊饒の願いが込められている<ref name=P /><ref name=FG />。この女神の祝祭は特に4月19日に祝われた<ref name=P /><ref>『ギリシア・ローマ神話辞典』p.124a「ケレース」。</ref>。
 
美術館が行った科学的調査により、ゴヤがすでに使用していたキャンバスの上にマリア・テレサの肖像画を描いたことが判明している。[[X線撮影]]された画像には、ゴドイの立像と[[マルタ騎士団]]の[[マルタ十字|十字架]]を胸に着けた若い騎士の肖像画が確認でき、どちらもマリア・ルイサの最終的な肖像画の準備として使用された[[ピンク]]がかった[[ベージュ]]の絵具層で覆われている<ref name=P />。
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Infante Luis of Spain - Count of Chinchón (1727-1785) by Goya.jpg|『チンチョン伯爵ルイス・アントニオ・デ・ボルボーンの肖像』1783年 個人蔵
María Teresa de Vallabriga.jpg|『チンチョン伯爵夫人マリア・テレサ・デ・バリャブリガ・イ・ロサスの肖像』1783年 [[プラド美術館]]所蔵<ref>{{cite web|title=María Teresa de Vallabriga |accessdate=2024/06/07 |url=https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/wd/a402fbb2-0198-49c0-901f-c7a4f2530abd |publisher=プラド美術館公式サイト}}</ref>