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== 経歴 ==
実家は[[お好み焼き]]屋を経営。少年時代は[[ボーイスカウト]]に所属していた。同じくボーイスカウトに入っていた俳優の[[生瀬勝久]]とこの頃すでに出会っており、「ボーイスカウトの頃と喋りがそのまま」と述べている。また独特の抑揚をつけたしゃべり口調は、[[師匠]]となる[[桂文枝 (5代目)|5代目桂文枝]]の落語を聴いているうちに意識するようになり、身についてしまったという。
 
[[兵庫県立宝塚高等学校]]卒業。高校時代は[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属。当時の高座名は「桂方沙織」。また「劇団根性座」を結成して[[演劇]]もおこなっていた。このころから[[厚化粧#舞台化粧|白塗り]]していたため、後の高座での芸風に繋がった。
 
高校卒業直前の[[1974年]]2(昭和49年)2月、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に入門。入門時に「名前聞いただけでさわやかな、そよ風みたいな名前がいい」と要望したため小文枝は「桂そよ風にせえ」とも言ったが、結局「桂枝織」となる{{Sfn|5代目桂文枝|2011|p=228}}。新人時代は、顔に真っ白な[[ドーラン]]を塗り、[[ちょんまげ]]の[[鬘|かつら]]をつけて[[落語]]をし、[[座布団]]、[[畳]]などを[[太神楽|人差し指一本で廻す]]という特技を披露していた(通称「白塗り落語」)<ref>[[文枝一門|一門]]に考慮して羽織に結三柏は使わず独自の[[定紋]]を使っていた。</ref>。かつらの代わりに[[ナス|茄子]]をくくり付けていたこともある。ネタの枕でその茄子をカッターで切って客席放り投げるという芸をやっていたが誤って指を切ってしまったことがある。これらの奇抜な[[扮装]]は[[古典落語]]をしようにも先達によって開拓、研究され尽くされていて「若手が入り込む余地がなく、全く手が打てない」と考えた末でのアイデアだった。
 
この時期、高校時代の教師([[兵庫県立西宮高等学校]]に転任していた)から「自分の教え子に落語家志願の生徒がいるので苦労話を聞かせてやってくれ」と頼まれて学校まで出向き、相手の生徒と差し向かいで話をした。その高校生の名は井田達夫といい、現在の[[笑福亭松喬 (7代目)|七代目笑福亭松喬]]であるその当時、井田少年は落語家になることを親に反対されていた)。おり、話の内容は「いずれ落語の世界に入るなら、ご両親も大学だけは行ってくれと話しているのだから、進学してはどうか。兄弟子の[[桂文枝 (6代目)|桂三枝]]・[[桂文珍]]も大学を出て落語家になっている。大学の4年間を芸の肥やしにするか、回り道にするかは君次第だ」というものであった<ref>[http://www.osaka-sandai.ac.jp/uppdf/univ_information/TtnLCrtSiw-200907281535-p032.pdf 大阪産業大学学園ニューズレターNeoSU] 2009年7月号(三喬へのインタビュー記事)</ref>。
 
[[1981年]]9(昭和56年)9月、師匠をはじめとする周囲の勧めもあり、'''桂 小枝'''に改名。5代目文枝は著書で「変えさせた」と記している{{Sfn|5代目桂文枝|2011|p=228}}。以降、[[関西ローカル]]の[[テレビ番組]]などで顔を売る。当時は『[[TV-JACK]]』([[朝日放送テレビ|ABCテレビ]])内の「美人数珠繋ぎ」など、関西ローカル[[深夜番組]][[ロケーション撮影|ロケ]]コーナーを受け持つが、人気は今ひとつ出なかった。テレビデビューかつ初レギュラーとなった[[生放送]]のテレビ番組では、[[放送禁止用語]]を言ったために即レギュラーから降ろされている。<br />[[1988年]]より[[2013年]]まで『[[探偵!ナイトスクープ]]』の探偵としてレギュラー出演。ねちっこい話し方と小ネタ集、パラダイス(全国にある面白[[テーマパーク]])紹介で人気を獲得した。特に「謎の[[爆発卵]]!?」の放送回(1993年12月24日放送)は、『探偵!ナイトスクープ』の視聴率が関西圏のみで30.5%を記録するなど、現在でも傑作の呼び声が高い。探偵紹介を受けてからの挨拶「'''よろしくお願いしま〜す、桂小枝で〜す、お願いしま〜す'''」(放送によっては、名前を先に挨拶する時もある)と、終わった後の第一声「'''しかし、まぁ〜何ですね〜'''」、直後の収録時と放送日との差をネタにしたトークがトレードマークとなっていた<ref>ただし、編集の都合でその部分がカットされることがある。</ref>。[[島田紳助]]は「小枝は35歳になってから売れる」と予言していたが、33歳のときにレギュラー出演が決まったこの番組のおかげでその予言が的中することとなった。予言した理由は「若いうちは独特の粘っこい口調は無理がある、あの話し口調はそれ相応の歳になってからでないと合わない」と読んだためと、後日談として話していた。{{要出典|date=2019年8月18日 (日) 06:18 (UTC)}}
 
[[1988年]](昭和63年)より[[2013年]]([[平成]]25年)まで『[[探偵!ナイトスクープ]]』の探偵としてレギュラー出演。ねちっこい話し方と小ネタ集、パラダイス(全国にある面白[[テーマパーク]])紹介で人気を獲得した。特に「謎の[[爆発卵]]!?」の放送回(1993年〈平成5年〉12月24日放送)は、『探偵!ナイトスクープ』の[[視聴率]]が関西圏のみで30.5 %を記録するなど、現在でも傑作の呼び声が高い。探偵紹介を受けてからの挨拶「'''よろしくお願いしま〜す、桂小枝で〜す、お願いしま〜す'''」(放送によっては、名前を先に挨拶する時もある)と、終わった後の第一声「'''しかし、まぁ〜何ですね〜'''」、直後の収録時と放送日との差をネタにしたトークがトレードマークとなっていた<ref>ただし、[[映像編集|編集]]の都合でその部分がカットされることがある。</ref>。[[島田紳助]]は「小枝は35歳になってから売れる」と予言していたが、33歳のときにレギュラー出演が決まったこの番組のおかげでその予言が的中することとなった。予言した理由は「若いうちは独特の粘っこい口調は無理がある、あの話し口調はそれ相応の歳になってからでないと合わない」と読んだためと、後日談として話していた。{{要出典|date=2019年8月18日 (日) 06:18 (UTC)}}<br />
[[桐灰化学]]の[[懐炉|カイロ]]のCMに出演して、関西以外の地域でも名が知られるようになった。小枝はこのCMのために剃髪しているという。桐灰側もこのCMによって企業の知名度、業績やカイロのシェアが上昇したため、リクルート情報などにおける企業紹介でも普通に「桂小枝さんのCMでおなじみの会社です」などという文句を用いている。
2013年9(平成28年)9月27日の放送分を以って、25年間出演していた探偵!ナイトスクープ同番組を卒業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20130907/oth13090711260019-n1.html |title=小枝、松村らが「ナイトスクープ」卒業 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2013-09-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130911183610/http://www.sanspo.com/geino/news/20130907/oth13090711260019-n1.html |archivedate=2013-09-11 }}</ref>、その後2014年8(平成29年)8月に顧問として復帰し以降定期的に出演。
 
[[桐灰化学]]の[[懐炉|カイロ]]の[[コマーシャル・メッセージ|CM]]に出演して、関西以外の地域でも名が知られるようになった。小枝はこのCMのために[[剃毛|剃髪]]しているという。桐灰側もこのCMによって企業の知名度、業績やカイロのシェアが上昇したため、[[就職活動|リクルート]]情報などにおける企業紹介でも普通に「桂小枝さんのCMでおなじみの会社です」などという文句を用いている。
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]』にゲスト出演した際、[[細木数子]]にリポーターとしての活動ではでなく、もっと古典落語をやりなさいと言われたことがある。現在は積極的に古典落語に挑戦し、『[[くっしゃみ講釈]]』『佐々木裁き』『[[悋気の独楽]]』などの得意ネタを持っている。以前はテレビ番組で「この歳になっても独演会をやったことがないのは私くらい」と言っていたが、2010年に初の独演会をおこなった。ただ、バラエティ番組での活動が多いため、地域によっては落語家としてのイメージが低い。そのため、ナイトスクープ内のロケが[[なんばグランド花月]]で行われた際、たまたま着物で出番待ちをしていた時に出演した時にはわざわざ「'''落語家 桂小枝師匠'''」というテロップが表示された。
 
[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の『[[幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜]]』にゲスト出演した際、[[細木数子]]にリポーターとしての活動ではでなく、もっと古典落語をやりなさいと言われたことがある。現在は積極的に古典落語に挑戦し、『[[くっしゃみ講釈]]』『佐々木裁き』『[[悋気の独楽]]』などの得意ネタ[[十八番]]を持っている。以前はテレビ番組で「この歳になっても独演会をやったことがないのは私くらい」と言っていたが、2010年に初の独演会をおこなった。ただ、バラエティ番組での活動が多いため、地域によっては落語家としてのイメージが低い。そのため、ナイトスクープ内のロケが[[なんばグランド花月]]で行われた際、たまたま着物で出番待ちをしていた時に出演した時にはわざわざ「'''落語家 桂小枝師匠'''」というテロップが表示された。
「アトリエ色えんぴつ」のスタイリストとしても活動しており、自ら出演しているテレビ番組の多くに関わっている。
 
「アトリエ色えんぴつ」のスタイリストとしても活動しており、自ら出演しているテレビ番組の多くに関わっている。
弟子に桂小留(ちろる)がいる。
 
[[弟子]]に桂小留(ちろる)がいる。
2013年9月27日の放送分を以って、25年間出演していた探偵!ナイトスクープを卒業<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20130907/oth13090711260019-n1.html |title=小枝、松村らが「ナイトスクープ」卒業 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2013-09-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130911183610/http://www.sanspo.com/geino/news/20130907/oth13090711260019-n1.html |archivedate=2013-09-11 }}</ref>、その後2014年8月に顧問として復帰し以降定期的に出演。
 
== 人物像 ==