「ささきいさお」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
出典元引用による加筆。 |
→人物・エピソード: 出典修正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
||
62行目:
父方曽祖父は[[大日本帝国海軍|海軍]][[主計総監]]で初代[[海軍経理学校|海軍主計学校]]長の[[海軍経理学校#歴代校長|奈良真志]]<ref name="yoasobi">{{Cite web|和書|url= https://web.archive.org/web/20210312234340/https://abema.tv/video/episode/218-101_s5_p16 |title=声優と夜あそび 2nd season 金曜日 ささきいさおゲスト!【関智一×大河元気】 #16 |publisher=[[Abema TV]] |date=2019-07-26|accessdate=2019-07-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www5c.biglobe.ne.jp/~isao/cgi-bin/a-news/data/2008/03/01.html |title=やっと春が来た・・・? |publisher=ささきいさおオフィシャルウェブサイト|date=2008-03-01|accessdate=2021-05-16}}</ref>、見込まれその娘と結婚した祖父は[[東京大学|東京帝国大学]]出身で海軍主計[[海軍中将|中将]]の[[海軍経理学校#歴代校長|佐々木重蔵]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www5c.biglobe.ne.jp/~isao/cgi-bin/a-column/data/1049166382.html |title=不思議なめぐり合わせ(会計監査院の原稿から抜粋) |publisher=ささきいさおオフィシャルウェブサイト|date=2003-04-01|accessdate=2020-10-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= http://www5c.biglobe.ne.jp/~isao/cgi-bin/a-news/data/2005/02/12.html |title=刈和野の大綱引き |publisher=ささきいさおオフィシャルウェブサイト|date=2005-02-12|accessdate=2020-10-02}}</ref>、父は[[早稲田大学]]出身の[[一級建築士]]{{R|yoasobi}}、母方祖父は父方と同じ東京帝国大学出身で[[朝鮮]]火薬製造監査役を務めた寺井俊治<ref>{{Cite web|和書|title=人事興信録. 第13版下 - 国立国会図書館デジタルコレクション |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430444/216 |website=dl.ndl.go.jp |accessdate=2022-01-26 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=人事興信録. 第13版上 - 国立国会図書館デジタルコレクション |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430443/738 |website=dl.ndl.go.jp |accessdate=2022-01-26 |language=ja}}</ref>、母方祖母の兄は[[法院 (満州国)|満州国最高法院]]院長の[[井野英一]]、[[農林大臣]]・[[法務大臣]]などを歴任した[[井野碩哉]]{{R|yoasobi}}<ref name="jitsuwa">{{Cite book |和書 |year=1960 |title=[[週刊実話]] 第77号 |publisher=[[日本ジャーナル出版|実話出版株式会社]] |pages=86-89}}</ref> というエリート一族で、両親からは両祖父の母校でもある東京大学への進学を望まれていた。本人も東大[[東京大学大学院理学系研究科・理学部|理]]・[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|工学部]]志望で、成績も武蔵で1〜3位と良かった{{R|jitsuwa}}。が、高校二年頃だんだんと勉強が面白く感じなくなっていき、成績も下降気味だった折、友人の薦めで[[日本テレビ]]ののど自慢番組に出た所、審査員長だった[[服部良一]]に「君は東京のプレスリーだね」と褒められたことから歌手を志すようになり<ref name="animate2">{{Cite web|和書|url= https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1620995807|title=『ヤマト』と共に浮上してきた“アニソン界のレジェンド”の隆盛! ささきいさおさんデビュー60周年記念スペシャルインタビュー【第2回】|publisher=アニメイトタイムズ|date=2021-05-17|accessdate=2021-08-15}}</ref>、当時法務大臣だった井野が日本コロムビアのディレクターと知り合いだったことから、紹介してもらいテストを受ける{{R|jitsuwa}}。その場に立ち会ったのが[[銀座ACB#解説|東洋企画]]を立ち上げたばかりの[[堀威夫]]で、やはりプレスリーに似ていると評価され、そのまま堀のマネージメントを受けることとなった{{R|jitsuwa}}。当時の担当マネージャーには、[[相澤秀禎]]もいた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www5c.biglobe.ne.jp/~isao/cgi-bin/a-news/data/2013/05/18.html |title= HAPPY BIRTHDAY!!!|publisher=ささきいさおオフィシャルウェブサイト|accessdate=2021-06-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunmusic-gp.co.jp/content/aizawa_hideyoshi|title=相澤秀禎のあゆみ|publisher=Sun Music Group Official Web Site|accessdate=2021-06-03}}</ref>。
男三兄弟の次男で、小学3年から高校まで男子校生活を送ったこともあり、学生時代は女性との接し方が苦手で、電車に乗っても女性の隣に座れないほどだった<ref name="kyoshou">{{Cite book|和書|author=吉田豪|authorlink=吉田豪|year=2020|title=吉田豪の巨匠ハンター|publisher=[[毎日新聞出版]]|pages=93-102,104,111|isbn=978-4-620-32628-3}}</ref>。
なお、『[[宇宙戦艦ヤマト]]』のプロデューサー・[[西崎義展]]、SF設定等を担当した[[豊田有恒]]とささきの3人は武蔵高等学校の同窓{{efn2|年次は西崎、豊田、ささきの順。}}であり、「宇宙戦艦ムサシ」にしておけばよかったのでは、とのジョークすら生まれたとのこと<ref>{{Cite book |和書 |author=豊田有恒|authorlink=豊田有恒 |year=2017 |title=「宇宙戦艦ヤマト」の真実 いかに誕生し、進化したか |publisher=[[祥伝社]] |series=[[祥伝社新書]] |pages=55,162 |isbn=978-4-396-11518-0}}</ref>。『ヤマト』の主題歌に関しても、起用の数年前に、イベントの司会をしていた西崎の前で歌唱したことを覚えて貰っており、起用に際して西崎から「何だ、お前か!」と声をかけられてスムーズに決まったという
[[松本白鸚 (2代目)|二代目松本白鸚]]は暁星小学校の同級生{{efn2|当時は六代目市川染五郎だった。}}{{R|album_collection}}{{R|jitsuwa}}。後に[[蜷川幸雄]]演出の『[[ロミオとジュリエット]]』や、ラジオなどで共演している。
76行目:
「キーを下げて歌うようならもう現役じゃない」という信条のもと、過去の楽曲も当時のキーのまま(いわゆる原曲キー)で歌うことを貫いており、それに必要な体力や声を保つために[[エアロビクスダンス|エアロビクス]]、腹筋の鍛錬、[[ダンベル|鉄アレイ]]を持ちながらの発声練習などを行っているという<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0039835 |date=2012-03-01 |title=特撮、アニメソングの生きる伝説!ささきいさお、69歳にして若さを保つのはたゆまぬトレーニングあってこそ!! |publisher=シネマトゥデイ |accessdate=2014-04-25}}</ref>。
「'''和製プレスリー'''」と称されたデビュー当時のささきについて、[[漣健児|草野昌一]]は「単なる真似ではなく、もって生まれたもの自体が(プレスリーに)似ている」と評していた。一方で、デビューから暫くは基礎的な技術を教わることなく、後年にミュージカルへ出演するようになってから歌唱の勉強を始めた経緯があり、当時マネージメントを担当した堀威夫は著書で「デビュー時の歌唱力はとても人前で披露できるようなものではなかった」と述べており、ささき本人も当時の自らの歌について「気持ち悪い」「プレスリーはこんなに歌がヒドくない」「滅茶苦茶下手くそ。歌に色気がない」などと酷評している{{efn2|ベストアルバム「佐々木功ソングブック -グレイテストベスト-」(2000年)のライナーノーツでは、ささき本人が収録曲を聴きながらコメントするという企画が実施されたが、デビュー曲「本命はお前だ」については自ら「こんなヒドい歌をよくレコードにしたよな」と評し、聴くことを放棄してしまっている。}}。作曲家の[[菊池俊輔]]も、ロカビリー時代の歌唱力の低さを熟知した1人で、『[[新造人間キャシャーン]]』での起用に当初は疑問を呈するも、ささきの修練を積んだ歌唱力に驚き、以降は積極的に楽曲を提供するようになる
アニメソング主題歌を担当することになったのは『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』のパーティーでの席上、出席者全員が余興で歌を披露する機会があり、声量が一際大きかったことで{{R|kyoshou}}、スタッフから「歌手だったし、主題歌を歌ってみませんか?」と声をかけられたことがきっかけ{{R|animate2}}<ref name="best_interview">{{Cite album-notes |和書|work=佐々木功ソングブック -グレイテストベスト |others=ささきいさお |year=2000 |title=ライナーノーツ型インタビュー「<男の詩>に秘めた<心>を通おう」 |last=高島幹雄 |pages=5 |type=CDライナー |publisher=[[日本コロムビア]] |id=COCX-31212→31213}}</ref> であり、ささき自身は「当時、幼稚園に通っていた息子には『パパはアニメの主題歌も歌うんだぞ』というところを見せられるという思いもあった」と語っている{{R|animate2}}<ref name="yuhodou">{{Cite web|和書|url=http://www5c.biglobe.ne.jp/~isao/cgi-bin/a-column/data/1003898719.html |title=テレビ遊歩道 2 「ヤマトへの第一歩」 |publisher=ISAOWEB ささきいさおオフィシャルサイト|accessdate=2015-04-21}}</ref>。
|