「ゴボウ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Problema5080 (会話 | 投稿記録) 西洋ゴボウはそういう名前の野菜 |
Alain Parks (会話 | 投稿記録) タグ: ビジュアルエディター 曖昧さ回避ページへのリンク |
||
136行目:
毎年2月17日に[[福井県]][[越前市]]国中町で、山盛りのゴボウ料理を食べる祭り「惣田正月十七日講(そうでんしょうがつじゅうしちにちこう)」、通称「ごぼう講」が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20220217/k00/00m/040/093000c |title=ゴボウ100キロ手分けして調理 豊作願う福井の奇祭「ごぼう講」 |publisher =毎日新聞 |date=2022-02-17 |accessdate=2022-05-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASK5T3VWWK5TPJLB00B.html |title=福井)奇祭、息づく伝統 てんこ盛りのゴボウ食べる |publisher =朝日新聞 |date=2017-06-27 |accessdate=2022-05-06}}</ref>。これは江戸時代から300年続く伝統行事であり、山盛りにした味噌和えのゴボウや丸揚げにしたゴボウ、茶碗に5合分のご飯を高さ約15cmに積み上げた「物相飯(もっそうめし)」等を食べて、豊作と地域の繁栄を願う<ref>{{Cite web|和書|url=https://jin-link8.github.io/echizenkaruta/page_te.html |title=越前かるた ごぼう講 |publisher = |accessdate=2022-05-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1802/22/news098.html |title=ゴボウとご飯がてんこ盛り! 300年以上続く福井の奇祭「ごぼう講」に行ってきた |publisher =ねとらぼ |date=2018-02-22 |accessdate=2022-05-06}}</ref>。
==
=== 太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ ===
日本では、[[太平洋戦争]]中に捕虜となった連合軍の兵士がゴボウを「木の根」だと思い、木の根を食べることを強要し虐待されたとして、戦後の戦犯裁判で日本人将兵が裁かれたとする話が一般的に広まっている。ゴボウにまつわる食文化の違いがもたらした悲劇的な逸話として、「戦時中、外国人捕虜にゴボウを与えたところ、木の根を食べさせられたと誤解され、戦後に[[BC級戦犯]]として虐待の罪で処罰された」というもの
{{quotation|裁判のときには相当国情が違い、日本の事情を知らない人が裁判をしたため不当と言えば不当と言える裁判があるのだ。一例としては、俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物を与えたいというのでごぼうを買つて来て食わした。その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もある}}
と述べている<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101515206X00419521210 |title=参議院会議録情報 第015回国会 法務委員会 第4号 |accessdate=2012-09-01}}</ref>。ただし報告の元となった事実は不明である。また、翌[[1953年]](昭和28年)[[7月2日]]の参議院[[厚生委員会]]では[[日本社会党]]の[[藤原道子]]が「ごぼうを食べさしたものを木の根を食べさせたのだということで二十五年の禁錮を受けておる」と発言している<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101614237X00719530702 |title=参議院会議録情報 第016回国会 厚生委員会 第7号 |accessdate=2012-09-01}}</ref>。これも事実上の根拠はない。これらの話は、[[新潟県]]の[[直江津町]](現:[[上越市]])にあった東京俘虜収容所第4分所の所長らが、終戦後、収容されていたオーストラリア人捕虜達から「木の根を食べさせられた」という告発を受け、うち所長を除く8名が[[横浜裁判]]で絞首刑となった([[直江津捕虜収容所事件]]<ref>[[上坂冬子]]『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』[[1986年]]、文春文庫1989, p.136</ref>)、あるいは[[長野県]][[下伊那郡]][[天龍村]]にあった東京[[俘虜]]収容所第12分所(満島捕虜収容所)に勤務していた警備員1名が無期懲役の判決となり、その裁判中にゴボウを食べさせたことが虐待として扱われた<ref>『[[朝日新聞]]』連載記事「地球・食材の旅」(1996年11月10日掲載)。ただし、この警備員はまもなく釈放されたといい、実際に本人に取材を行ったがこの話については語ってくれなかった、と述べられている。</ref>というもで、[[相馬暁]]は1996年の著書の中で「アメリカ人捕虜にゴボウを食べさせたために、昭和21年に、横浜の戦犯裁判で捕虜収容所の関係者が、二人が死刑、三人が終身刑、二人が十後年以上の有期刑の判決を受けた」と述べている<ref>『野菜学入門』1996年</ref>。
しかし、実際には、[[直江津捕虜収容所事件|直江津捕虜収容所]]では、終戦時に捕虜収容人数698人を収容し、収容中の死者は61人、また満島捕虜収容所では、終戦時収容人員308人で、収容中の死者59人という尋常ではない捕虜の処遇<ref>{{Cite web |title=POW研究会 POW Research Network Japan {{!}} 研究報告 {{!}} 日本国内の捕虜収容所 |url=http://www.powresearch.jp/jp/archive/camplist/index.html#tokyo |website=www.powresearch.jp |access-date=2024-08-31}}</ref>が問題とされ、強制労働の内容、虐待や暴力などの処遇、衣食住、衛生と医療、文化的施設などの点において検証され、深刻な状況が報告された。これらの大勢の捕虜の死がゴボウが原因でもなく、またゴボウを食べさせたことで関係者が死刑になったわけではない。また「木の根」を食べさせられたという記述もなく、証言の中に「米、キビ、大麦を 1 人 1 日 300 グラム混ぜたもの。肉は少量。時々、犬、馬などが食べられた。野菜は大根か木のように固い[[ラディッシュ]]がほとんど」<ref>{{Cite web |title=North China Marines - Prisoners of War |url=http://www.northchinamarines.com/id35.html |website=www.northchinamarines.com |access-date=2024-08-31}}</ref>として言及されているだけで、ラディッシュを根と訳すのは曲解である。
ヨーロッパやアメリカでは[[パースニップ]]というセリ科の野菜で、ゴボウに似た固めの根菜が食されており、日本でも「アメリカゴボウ」と呼ばれている。
== 脚注 ==
|