「南海電気鉄道の車両形式」の版間の差分
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== 概説 ==
現在の南海の車両は、一部<ref>[[南海7000系電車#7100系|7100系]]の一部や[[南海8300系電車|8300系]]は[[近畿車輛]]製、鋼索線の[[南海N10・20形客車|N10・20形]]は海外製である。</ref>を除いて、[[関東地方]]にある[[東急車輛製造]]<ref name="Yokohama-Kanazawa">のちに2014年に横浜金沢プロパティーズへ商号変更後、2016年に東京急行電鉄に吸収合併され解散した。</ref>→[[総合車両製作所]]横浜事業所([[神奈川県]][[横浜市]][[金沢区]])で製造されているのが最大の特徴である。これは、旧[[帝國車輛工業]]時代からの取引関係であるとされるほか、[[南海6000系電車|6000系]]以降の[[オールステンレス車両]]がライセンスの関係上、長らく東急車輛<ref name="Yokohama-Kanazawa"/><ref name="J-TREC_Yokohama">事業は[[総合車両製作所]]横浜事業所が継承。</ref>以外では製造できなかったことによる<ref>[[1980年代]]中頃まで。唯一の例外は
南海の車両は大きく[[特急形車両|特急車両]]と[[一般車|一般車両]]に分かれ、両者が併結した列車が存在する(特急「[[サザン (列車)|サザン]]」)。また、一般車両は4扉車と2扉車に分かれ、後者は山岳線区の直通に対応した「[[ズームカー]]」と呼ばれる。
[[南海高野線|高野線]]の4扉車は[[1962年]]という早い時期から[[ステンレス鋼|ステンレス]]車体を採用する一方、[[南海本線|南海線]]は[[炭素鋼|普通鋼]]車体という作り分けが長く続き、南海線でステンレス車体が採用されたのは[[1985年]]の[[南海9000系電車|9000系]]からであった。また、南海線は105km/h以上の高速運転を行う一方、高野線では南部に連続勾配区間が存在するため、走行する路線環境に特化して車両の性能を決定することが長らく続いた。この障壁が解消した後に登場したのが[[南海1000系電車 (2代)|1000系 (2代) ]]であり、これ以降の新型車両(ズームカー除く)は両線での使用を前提に設計されるようになった。また、それ以前に設計されていた[[南海2000系電車|2000系]]ズームカーも、[[2000年代]]後半の運用変更により現在では両線で運行されるようになったほか、[[泉北高速鉄道線]]所属だった[[大阪府都市開発3000系電車|3000系]]を譲受して南海線に転用した例では、保有会社は違えど結果的に両線を走行する車両となった。
幹線で営業運転を行う場合は、故障対策として単独運転または併結運転により主要機器を二重に装備した編成で運行する。この内規によれば故障時にダイヤの乱れを防止できる利点がある反面、車両運用に大幅な制約が生じる(制約の一例として、[[南海6200系電車|6200系]]や9000系、更新後の[[南海7000系電車#7000系|7000系]]などでは編成に1台しかない機器があり、4両編成での単独運用ができなかった。)。このため[[南海2300系電車|2300系]]以降の新造車両や機器更新車両
制御装置はほぼすべて[[日立製作所]](2300系のみ[[東洋電機製造]]、
なお、以上の説明は現役の車両を中心に据えたものであり、過去の車両には当てはまらないことに留意されたい。
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== 一般車両(通勤形車両) ==
南海では通勤形車両を
=== 南海線系統 ===
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* 高野線系統
**[[多摩湖鉄道の鉄道車両#デハ10形→モハ10形→モハ21形(電動客車)|大阪高野鉄道電1形]]
*:[[1912年]](明治45年)に高野線の前身・
**モハ701形(電6形)
*:高野線の急勾配区間用に[[1927年]](昭和2年)に製造された、主電動機は高野線用のためGE社の218B形で出力は70HP×4(208kw)、自重は28.8t、前面5枚窓で3扉の52フィート5.5インチ(15m)級木造ボギー車で定員は90人。[[1939年]](昭和14年)に[[南海の簡易半鋼車|簡易半鋼車]]化され、高野線で急勾配区間への乗り入れに使用されていた。[[1949年]](昭和24年)に電装解除されてクハ1818形クハ1818・1819となり、以後は南海線で使用されて[[1967年]](昭和42年)に廃車された。なお、電6・8形には高野山電気鉄道[[高野山電気鉄道101形電車|101形]]からの編入車も存在した。
** モハ101形→モハユ751形・モハ1021形(電8形)
*:電6形と共に高野線の急勾配区間用に[[1926年]](大正13年)に製造された、主電動機は大阪高野鉄道電1形から流用したためGE社の218B形で出力は70HP×4(208kw)、自重は29.5t、前面5枚窓で3扉の52フィート5.5インチ(15m)級木造ボギー車で定員は90人。後に50‰の[[高野山電気鉄道]]との直通運転(大運転)に際して[[回生ブレーキ]]が追加された。戦後は主に加太線で使用され、[[1962年]](昭和37年)に廃車された。[[1936年]](昭和11年)には2両(モハ125・126)が郵便室を設置してモハユ751形(モハユ751・752)となり、さらにモハユ751は[[1959年]](昭和34年)に[[北丹鉄道]]に譲渡され、客車化されてハニ11となった。モハ132→モハ1025は[[1956年]](昭和31年)に淡路交通に譲渡されモハ1000型モハ1010となり、またモハ1024は[[ズームカー]]の開発に当たって電装品および台車の[[試験車]]モハ1に改造され、上半グレー、下半赤のツートンカラーに塗られた。
** [[南海8200系電車|8200系]]
** [[南海8000系電車 (初代)|8000系(初代)]]
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*:クハ801は元芸備鉄道のガソリンカーで前面4枚窓の片ボギー車、クハ802・803は元片上鉄道のガソリンカーで前後にデッキを持つ。
**サハ1821形(サハ1821・1827)
*:元南海本線の[[南海の簡易半鋼車|簡易半鋼車]]クハ1821・1827、[[ラッシュ時]]の増結用。
=== 電気機関車 ===
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* 貴志川線
**1号
*:1911年コッペル製、最大寸法5,370×1,639×2,805、運転整備重量8.8[[トン|t]]、実用最大蒸気圧12[[重量キログラム|kgf]]/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]]のBタンク。山東軽便時代の車輌で、1940年に[[宮崎交通線|宮崎鉄道]]に売却された。
**2・3号(詳細不明、電化前後に売却された模様)
**4号
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