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[[アメリカ合衆国]]の[[アーリントン国立墓地]]は南北戦争時に作られたが、北軍南軍双方の兵士が埋葬されている。国が決めた埋葬基準を満たした中での希望者が埋葬され、敷地内の教会は[[キリスト教]]だが、埋葬や慰霊・追悼の際には、キリスト教形式に限らずどの宗教形式でも、あるいは無宗教の形式でも、本人や遺族が自由に選択できる。一方、[[靖国神社]]は[[東京招魂社]]として戊辰戦争後に作られたが祀られているのは維新政府軍のみであり、幕軍側や旧士族の反乱([[西南戦争]]など)の死者などは祀られていない。現在は民間の一宗教法人であり、国との公的関わりはなく、生前の本人の宗教信仰に関わりなく[[合祀]]されるが、合祀の形式は[[神道]]形式に限られる。その祀られる基準は靖国神社が定め、事前に遺族などに合祀の同意を求めず、遺族などが合祀を取り消しまたは合祀を求めてもそれには応じず、そういったことと無関係に勝手に祀るものである。
 
合祀されたA級戦犯1413名の中でも[[広田弘毅]]の遺族・孫の弘太郎は「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀られているとは考えていない」と話した。靖国に絡むこれらの思いは「広田家を代表する考え」としている<ref>[2006年07月27日(朝日新聞)]</ref>。
 
2013年5月訪米時に[[安倍晋三]]首相が「日本人が靖国神社を参拝するのは米国人がアーリントン墓地を参拝するのと同じ」と『フォーリンアフェアーズ』紙に答えた。それに対し韓国の『[[中央日報]]』は「アーリントンが国民統合と和解の象徴なら、靖国は戦死者を顕彰する軍国主義の象徴にすぎない」として批判した<ref>[http://japanese.joins.com/article/817/171817.html 【社説】靖国とアーリントンが同じだという安倍首相の詭弁]、『中央日報』2013年5月21日</ref>。2013年10月3日、米国の[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]国務長官と[[チャック・ヘーゲル]]国防長官は[[千鳥ヶ淵戦没者墓苑]]を訪れ、献花した。千鳥ヶ淵戦没者墓苑によると、この訪問は日本の招待ではなく米国側の意向であった。同行した米国防総省高官は記者団に対し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑はアーリントン国立墓地に「最も近い存在」だと説明した。ケリーとヘーゲルは「日本の防衛相がアーリントン国立墓地で献花するのと同じように」戦没者に哀悼の意を示したと述べた。安倍が5月に訪米した際、靖国神社を米国のアーリントン国立墓地になぞらえたことに対する牽制とみられる<ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3000736 米国務長官らが千鳥ヶ淵墓苑で献花] AFP 2013年10月3日</ref>。その後2013年12月に安倍が参拝すると菅官房長官は記者会見で「無宗教の国立追悼施設の建設構想については『国民に理解され、敬意を表されることが極めて大事なことだ。国民世論の動向を見極めながら慎重に検討することが大事だ』と述べ、現時点では取り組む考えがないことを示唆した」<ref>[https://archive.is/20131231152445/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131227-00000028-asahi-pol 国立追悼施設・分祀、官房長官は慎重な姿勢(朝日新聞デジタル)]</ref>。また安倍も参院予算委員会で「多くのご遺族の方々がどう思われるかが大変大きな問題だ」と新施設に慎重姿勢を示した。また首相側近の[[萩生田光一]]総裁特別補佐は「新施設は決して無駄とは思わないが、靖国への思いとは異なる」と指摘した<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312/2013122700792 新追悼施設、根強い慎重論=A級戦犯分祀も否定的-靖国問題(時事ドットコム)]</ref>。[[公明党]]は2013年12月に安倍の参拝をうけて「どのような立場の人もわだかまりなく追悼できる施設」を提案した<ref>[https://archive.is/20131231152510/mainichi.jp/select/news/20131228k0000m010087000c.html 国立追悼施設の検討を、公明代表 首相参拝受け(毎日新聞)]</ref>。
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:第67代内閣総理大臣・[[福田赳夫]]が参拝。公用車の使用、公職者の随行のうえ「内閣総理大臣」と記帳しながらも、私的参拝を主張。
; [[1978年]][[10月17日]]
:極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)におけるA級戦犯14人を国家の犠牲者「昭和殉難者」として合祀(翌[[1979年]][[4月19日]]に新聞報道により一般に知られることとなる)。首相・三木の「私的参拝四条件」(1975年)を政府統一見解として認めたことがないと[[内閣法制局]]が言明(参議院内閣委員会)。合祀されたのは、[[死刑]]に処された[[東條英機]]、[[広田弘毅]]、[[松井石根]]、[[土肥原賢二]]、[[板垣征四郎]]、[[木村兵太郎]]、[[武藤章]]の7人と、勾留・服役中に死亡した[[梅津美治郎]]、[[小磯国昭]]、[[平沼騏一郎]]、[[東郷茂徳]]、[[白鳥敏夫]]、[[松岡洋右]]、[[永野修身]]の76人の計1413人。
; [[1979年]][[4月21日]]
:[[キリスト教徒]]の第68代内閣総理大臣・[[大平正芳]]が春期例大祭で参拝(A級戦犯合祀報道の2日後)。