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Eusentrö (会話 | 投稿記録)
概要: ライブ・コンサートについての説明を加筆。
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来歴: 前身バンドについて追加。
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== 概要 ==
[[1994年]]結成。バンド名は[[1988年]]に[[西ドイツ]]の[[ラムシュタイン=ミーゼンバッハ]]にある[[ラムシュタイン空軍基地]]の[[航空ショー]]で発生した[[ラムシュタイン航空ショー墜落事故]]から取られた(バンド名はMが一つ多いが、これは後にラムシュタイン空軍基地のスペルはMが2つと勘違いしていたと後年にパウルが語っている)。
 
[[File:Rammstein-flamethrowers.jpg|right|thumb|260px|[[火炎放射器]]を使った[[コンサート]]]]
[[File:Rammstein aux Arènes de Nîmes 13 juillet 2017 20.jpg|right|thumb|220px|宙吊りパフォーマンス - フランス・ニーム公演 (2017年7月)]]
 
[[デペッシュ・モード]]の「[[ブラック・セレブレーション|Stripped]]」をカバーした際、ミュージック・ビデオに[[レニ・リーフェンシュタール]]制作の映画『[[オリンピア (映画)|オリンピア]]』のワンシーンが映っていることから、[[ネオナチ]]バンドであると批判された<ref>https://rollingstonejapan.com/articles/detail/31549/4/1/1 2024年10月5日閲覧。</ref>。それに対し『{{仮リンク|ムター (アルバム)|en|Mutter (album)}}』収録曲「前進 (Links 2 3 4)」で自らが[[左派]]バンドであると主張している他、2005年には[[連邦憲法擁護庁]]によって"ラムシュタインの背景にあるのは右翼の放火魔ではなく、左翼の花火師だ"と説明されている<ref>https://www.welt.de/kultur/pop/article115889518/Rammstein-oder-der-Triumph-des-Bruellens.html 2024年11月21日閲覧。</ref>。<br/>[[2019年]]のモスクワ公演中には、ロシアの[[ロシアにおける同性愛宣伝禁止法|同性愛宣伝禁止法]]への抗議として、「異邦人 (Ausländer)」演奏中にパウルとリヒャルトがキスをしている<ref>https://rockinon.com/news/detail/188398 2024年9月14日閲覧。</ref>。
 
火薬等を使ったライブパフォーマンスはボーカルのティルが[[パイロテクニクス]]の資格を持っているために行うことができる。ギター担当の2人が口から火を噴く(「撃て! (Feuer frei!)」当項目上写真)、窯に入ったフラケに向かってティルが火炎放射を行う(「Mein Teil」)などのパフォーマンスが特に有名である<ref>https://rockinon.com/news/detail/186411 2024年9月14日閲覧。</ref>。火炎放射や爆破の規模は[[キッス (バンド)|キッス]]以上であり、ライブ会場付近を飛行する飛行機の機内からでも見える。<br/>[[2016年]]からはライブの入場曲として、新曲の「Ramm4」が用いられていたが、[[2019年]]からは[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の『[[王宮の花火の音楽]]』と共にステージ中央上部のエレベーターから降りる形で入場する。<br/>ライブ・ツアーを重視するバンドであるため、"ライブを年内に一切行わない"ことが活動休止と捉えられる。[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスの流行]]により[[2020年]]と[[2021年]]のライブがすべてキャンセルされた際、新スタジオ・アルバム『時間 (Zeit)』を製作するなど、音楽活動を完全に中止させていなかったにもかかわらず、表面上では活動休止としていた。
 
歌詞については、ノイエ・ドイチェ・ヘァテというジャンルに違わず、殆どが[[ドイツ語]]で歌われている。一部の歌詞を[[ロシア語]](「モスクワ (Moskau)」)や[[英語]](「Amerika」「Pussy」)、[[スペイン語]](「愛してるぜ、姉ちゃん (Te Quiero Puta!)」)で歌うこともある。<br/>[[近親相姦]](「プレイ・ウィズ・ミー (Spiel mit mir)」、「ビースト (Tier)」)、子どもの[[性的虐待]](「ビースト」、「ハレルヤ(Halleluja)」)、[[屍姦]](「Heirate mich」)、[[同性愛]](「男対男 (Mann gegen Mann)」)、[[カニバリズム]](「Mein Teil」)、[[性病]](「OK」)など、過激な題材を扱ったものが多い。その一方で、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の詩を題材にした曲(Dalai Lama-「[[魔王 (ゲーテ)|魔王]]」, Rosenrot-「[[野ばら]]」)があるなど文学的な側面も持つ。<br/>引用も多く、「ドイツ (Deutschland)」では[[ドイツの歌]]の本来公的な場では流れない1番、「ジグザグ (Zick Zack)」ではドイツの[[諺]]の1つ「美しくなりたければ、苦しまなければならない (Wer schön sein will, muss leiden.)」や「ナイフ・フォーク・鋏・ライトは子どもの物ではない (Messer, Gabel, Schere, Licht
Sind für kleine Kinder nicht.)」をもじったものとなっている。
 
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== 来歴 ==
[[1993年]]、前身である「Tempelprayers」が結成<ref>https://www.dw.com/en/rammstein-sons-of-east-german-punk/a-49746002 2024年11月21日閲覧。</ref>。結成当初のメンバーはリヒャルト、ティル、オリバー、クリストフの4人だけであった。資金不足だったため、クリストフの所属していた[[パンク・ロック]]バンド{{仮リンク|Feeling B|en|Feeling B}}の収益を使い活動していた。Feeling Bのリーダーである{{仮リンク|Aljoscha Rompe|en|Aljoscha Rompe}}が不法占拠していた建物でデモ曲を4曲録音してコンテストに出場し、優勝。このデモ曲を聴いたパウルが関心を持ち加入。後に同じくFeeling Bのメンバーであるフラケを勧誘し、フラケが加入する<ref>https://www.loudersound.com/features/rammstein-the-birth-of-a-legend 2024年11月21日閲覧。</ref>。
 
[[1995年]][[9月25日]]、初アルバムとなる『{{仮リンク|Herzleid|en|Herzeleid}}』発売。(日本未発売)
 
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2005年、『{{仮リンク|ローゼンロート|en|Rosenrot}}』発売。
 
[[20092006年]]、『{{仮リンク|最愛なる全ての物へ|en|Liebe ist für alle da}}』の制作のため、活動休止。翌年に活動再開。

[[2009年]]、『最愛なる全ての物へ』発売。国内盤は同年12月16日に、未発売だった『ローゼンロート』の国内盤と共に発売された。また、前々作『ライゼ・ライゼ ~南船北馬~』もオリジナルジャケットに戻された上で再版されている。<br/>同年、アメリカでのツアー中、「ベンド・ダウン (Bück dich)」の演奏中にティルとフラケが[[ステージ]]で行っている[[ディルド]]などを使った擬似行為やSM的な[[パフォーマンス]]が猥褻行為にあたるとされ、二人は[[逮捕]]された。
 
[[2011年]]、アメリカのHR/HM専門アワードRevolver Golden God Awardでベスト・ライヴ・バンドに選出される。<br/>同年、ベスト盤『{{仮リンク|メイド・イン・ジャーマニー 1995-2011|en|Made in Germany 1995–2011}}』をリリース。
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[[2022年]][[4月29日]]、『時間』発売。
 
[[2023年]][[5月22日]]の[[リトアニア]]での公演後、ティル主催のアフターパーティーにて酒にドラッグを入れられ、性的暴行を受けたと北アイルランド人女性が告発した<ref>[https://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-65843882?xtor=AL-72-%5Bpartner%5D-%5Bbbc.news.twitter%5D-%5Bheadline%5D-%5Bnews%5D-%5Bbizdev%5D-%5Bisapi%5D&at_bbc_team=editorial&at_link_type=web_link&at_medium=social&at_link_origin=BBCNews&at_ptr_name=twitte Rammstein fan Shelby Lynn alleges she was groomed for sex] 2024年8月20日閲覧。</ref>。しかし、事前に女性が[[Twitter]]にてティルに一切指を触れていないと投稿していた事(投稿は削除済み)、パーティー後に女性がリトアニア警察で調書を書いていなかった事から、「酒にドラッグ」「性的暴行」という言葉が一人歩きした。後に女性が投稿を撤回し暴行を受けたと主張。また、'''第三者である'''[[俳優]]の[[:de:Kayla Shyx|カイラ・シックス]]も[[Youtube]]にて同様の暴行を受けそうになったと主張した<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=9YLsMXyo3Uc Was wirklich bei Rammstein Afterpartys passiert] 2024年8月20日閲覧。</ref>。6月、ティルは性犯罪と麻薬配布の容疑で家宅捜索を受けるも、'''無実である'''として8月に捜査は打ち切られた<ref>https://www.rbb24.de/panorama/beitrag/2023/08/berlin-verfahren-till-lindemann-eingestellt-rammstein.html 2024年9月12日閲覧。</ref><ref>https://voi.id/ja/musik/305843 2024年10月5日閲覧。</ref>。これらに対し、ティルはカイラと[[デア・シュピーゲル|シュピーゲル]]を名誉棄損として訴え、勝訴した。
 
[[2024年]]、[[7月31日]]の[[ゲルゼンキルヒェン]]公演を最後に、最低でも2年以上の活動休止を行うこと、ドキュメンタリー映画が近いうちに公開されること、2016年の初披露以降、音源化されていなかった「Ramm4」をリリースすることを発表した<ref>https://www.wn.de/welt/kultur/rammstein-tour-pause-2025-2026-3053679 2024年10月7日閲覧。</ref><ref>https://www.sortiraparis.com/ja/pari-no-midokoro/konsato-ongaku-sai/articles/318647-herufesu-fesu-can-jia-zhega2025nianni-jiantaibandotoatisuto 2024年10月7日閲覧。</ref>。
 
== メンバー ==
結成以降、一度もメンバー変更や脱退がない。ティルがフロントマンとしてメディアに出演することが多いが、リーダーとして決まっているわけではなく、全員が対等な立場であることが分かる。一方で、結成者はリヒャルトであるため、彼がリーダーであるという声もある<ref>https://www.cdjournal.com/main/news/emigrate/62543 2024年10月5日閲覧。</ref>。<br/>{{仮リンク|Feeling B|en|Feeling B}}は[[1983年]]から[[1993年]]まで活動していた[[パンク・ロック]]バンドであり、パウルとフラケはそのメインメンバーだった。(クリストフは90年に加入。)
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