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「国に殉じた先人に、[[国民]]の代表者が感謝し、[[平和]]を誓うのは当然のこと」という意見がある一方、[[政教分離原則|政教分離]]や、[[第二次世界大戦]]における日本の戦争行為について「侵略だったか自衛だったか」といった[[歴史認識]]、また同戦争において日本の行為によって損害を被った近隣諸国への配慮等といった観点から、[[政治家]]の[[参拝]]を問題視する意見がある。第二次世界大戦における日本の[[終戦の日]]である[[8月15日]]の参拝は[[戦争]]の戦没者を[[顕彰]]する意味合いがあるとされ、特に日本国内の[[左派]]や中韓の二国において議論が大きくなる。[[小野田寛郎]]は、日本兵が戦友と別れる際、「靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の心の拠り所としてのシンボルの一つであった、としている<ref name="onoda"> [[小野田寛郎]]『ルバング島 戦後30年の戦いと靖国神社への思い』([[講談社]]、1974年</ref>。
 
1975年の日本国内メディアから政教分離という[[内政]]理由の批判<ref>2019年に政教分離違反を唱えた原告らの敗訴が、最高裁で確定した。</ref>から始まり、1985年の中曽根康弘首相による公的参拝発言よる日本国内の自民党・でも[[日本社会党]]による与党[[自民党]]へ[[政争の具]]とされた。1985年以降から中国や韓国は「靖国神社に[[A級戦犯]]が合祀されているから」と主張しているが、中韓国民への世論調査からそもそも戦前の日本軍人を慰霊すること」自体に反発しているからこと1985年の朝日新聞による靖国批判報道で靖国神社自体を知ったから反発しだしただけであることが指摘されている。以降、中韓政府は日本の政治家による参拝が行われる度に反発している(諸外国の反応の詳細については後述の[[#日本政府の見解]]を参照)<ref name=":0" />。自民党も2006年に「靖国問題」は中韓との問題だとし、両国が「靖国」を持ち出すのは、日本による「[[竹島不法占拠]]や[[東シナ海ガス田問題|東シナ海の一方的なガス田開発]]など両国による日本に対する[[不法行為]]」への批判に対して、それしか対抗に使えそうな外交的カードが無いからだと指摘している<ref name=":1" />。実際に、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの'''6年4月間'''、[[大平正芳]]、[[鈴木善幸]]、[[中曽根康弘]]が首相在任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根が参拝時の朝日新聞の報道までは、中韓からも非難はされていなかった。具体的に1985年の参拝に対して、それに先立つ同年[[8月7日]]の[[朝日新聞]]が『靖国問題』を[[報道]]すると、一週間後の8月14日、[[中国共産党]]政府が史上初めて靖国神社の参拝への非難を表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tkfd.or.jp/research/eurasia/a00690?id=414|title=安倍首相の靖国参拝に対する中国側反応における深層|publisher=東京財団|accessdate=2017年6月22日}}</ref>。一方で、1979年にA級戦犯合祀公表以降も靖国神社へ戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の[[要人]]も訪れている<ref>{{Cite web|url=http://bbs.tianya.cn/post-56-552968-1.shtml|title= 七嘴八舌 靖国神社公式参拝関係年表(资料,请妥善保存)(转载)|publisher=天涯社区|accessdate=2017年6月22日}}</ref>。なお、戦没者を慰霊追悼・顕彰するための施設及びシンボルとする解釈が現在だけでなく[[戦前]]からも一般的だが、神社側としては「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝える」場所<ref>http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html</ref>、および「日本の独立を誓う場所」との認識が正しいとのことである<ref>『偕行』昭和20年7月「靖国神社について」より</ref>。
 
== 争点 ==