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== 概要 ==
* 中村正人が[[ソフィスティ・ポップ]]に分類される[[スウィング・アウト・シスター]]の音楽性と吉田美和の歌唱力に衝撃を受けた後、1988年1月に結成。
* 1985年から1988年までの間、とんねるずのコンサートツアーでバック・バンドのベーシストだった中村が、1988年のコンサートツアー時に吉田をバック・コーラスに招聘した事から始まった。[注釈 1](デビュー前に小泉今日子のサポート・メンバーを2人が行っていたと言われることがあったが、吉田のみが出演しており、中村ではなく弟が参加していた)。
* 1989年3月21日、1stシングル『[[あなたに会いたくて]]』と1stアルバム『[[DREAMS COME TRUE (アルバム)|DREAMS COME TRUE]]』同時リリースでデビュー。
* 1989年の2ndアルバム『LOVE GOES ON…』、1990年発売の3rdアルバム『WONDER 3』は売上枚数100万枚以上。
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1997年に[[レコードレーベル]]を[[ヴァージン・レコード|ヴァージン・レコード・アメリカ]]に移籍し、同時にプライベート・レーベルVirgin/D.C.T.を設立。本格的に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]進出を視野に入れた活動になった(国内販売は[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]が担当した)。
 
しかし、これは日本の音楽業界の慣例を無視したものであった。肝心の米国での活動も芳しいものではなく、本格的なアメリカ進出作となったアルバム『[[SING OR DIE#SING OR DIE -WORLDWIDE VERSION-|SING OR DIE]]』にしても、[[ニューヨーク]]の[[タワーレコード]]などで週間売上げの上位にランクインしたものの、実際に現地の購買層は、ほぼすべてが日本人であったとされる<ref>[https://web.archive.org/web/20000609211746/http://netnavi.nikkeibp.co.jp/ent/index/9811/interview/news02.html ドリカムの真実〜初めて語った米国新人ライフ〜]、『[[日経エンタテインメント!]]』1998年11月号より。([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>。中村は後に「(米国でのチャレンジは)失敗だった。(アメリカの)レコード会社もクビになったし勉強不足も甚だしくて、そこでバンドが終わってもしょうがないっていう状況まで追い込まれた」と振り返る<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/2014/08/post-1153.html |title=EXILE・HIRO、ドリカム中村と“苦難の時代”を語る「がむしゃらに売れたいと思った」 |date=2014-08-24 |work=リアルサウンド |accessdate=2015-08-18}}</ref>。
 
中村は後に「(米国でのチャレンジは)失敗だった。(アメリカの)レコード会社もクビになったし勉強不足も甚だしくて、そこでバンドが終わってもしょうがないっていう状況まで追い込まれた」と振り返る<ref>{{Cite web|和書 |url=https://realsound.jp/2014/08/post-1153.html |title=EXILE・HIRO、ドリカム中村と“苦難の時代”を語る「がむしゃらに売れたいと思った」 |date=2014-08-24 |work=リアルサウンド |accessdate=2015-08-18}}</ref>。
結局、ヴァージンを解雇となり米国から撤退したが、その後日本においても完全に干される状態となり、事務所を退所して個人事務所を設立した。2年間は各放送局を謝罪行脚して回り、ようやく仕事がもらえるようになったのは5年後からだという<ref>[https://natalie.mu/music/pp/dreamscometrue02/page/15 DREAMS COME TRUE「ATTACK25」特集 中村正人インタビュー]</ref>。
 
結局、ヴァージンを解雇となり米国から撤退したが、その後日本においても完全に干される状態となり、事務所を退所して個人事務所を設立した。2年間は各放送局を謝罪行脚して回り、ようやく仕事がもらえるようになったのは5年後からだという<ref>[https://natalie.mu/music/pp/dreamscometrue02/page/15 DREAMS COME TRUE「ATTACK25」特集 中村正人インタビュー]</ref>。
元々は結成当初よりユニット内の立場が微妙であった西川は、かねてより多数のトラブルを抱えていたが、「これ以上、庇いきれない」という事務所の判断{{要出典|date=2023年12月}}により2002年に脱退を発表。西川は直後に[[覚醒剤取締法|覚せい剤取締法]]違反(使用)の容疑で逮捕された。
 
元々は結成当初よりユニット内の立場が微妙であった西川は、かねてより多数のトラブルを抱えていたが「これ以上、庇いきれない」という事務所の判断{{要出典|date=2023年12月}}により2002年に脱退を発表。西川は直後に[[覚醒剤取締法|覚せい剤取締法]]違反(使用)の容疑で逮捕された。
 
=== 影響力 ===