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続く関東オープンでは新井・尾崎と並んでの2位タイ、日本国土計画サマーズでは最終日には吉川と共に追い上げて2位タイ<ref>朝日新聞縮刷版p185 昭和54年8月6日夕刊7面「三上が初優勝 サマーズゴルフ」</ref>、[[KBCオーガスタゴルフトーナメント|KBCオーガスタ]]では[[鈴木規夫]]・小林と並んでの4位タイ<ref>朝日新聞縮刷版p889 昭和54年8月27日朝刊19面「草壁、逆転で初優勝 強風ついて12アンダー KBCオーガスタ・ゴルフ 最終日」</ref>に入った。
 
[[1980年]]は[[ブリヂストン阿蘇オープン|阿蘇ナショナルパークオープン]]では吉川・[[高橋純一 (ゴルファー)|高橋純一]]・杉本・河野・[[横島由一]]と並んでの7位タイ<ref>[[毎日新聞]]縮刷版p219 昭和55年4月7日朝刊17面</ref>、連覇を狙った第2回かながわオープンで5位タイ<ref>朝日新聞縮刷版p228 昭和55年7月6日朝刊16面</ref>、[[全英への道 ミズノオープン|美津濃トーナメント]]では鈴木・横島・内田・[[橘田光弘]]・[[天野勝]]に次ぐと同時に[[松井功 (ゴルファー)|松井功]]・金井・謝永・宮本と並んでの6位タイ<ref>[https://jpn.mizuno.com/golf/mizunoopen/history/010{{Cite web |title=第10回 1980年(昭和55年)|ゴルフ|ミズノ公式オンライン]|url=https://jpn.mizuno.com/golf/mizunoopen/history/010|website=mizuno.com|access-date=2023-07-19}}</ref>に入る。
 
1980年の日本国土計画サマーズでは初日は[[雨]]だけでなく[[霧]]にもコースが覆われてスタートが45分も遅れたが、ぬかるんだコースの9番ホールで抱腹絶倒の珍事を起こす<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ">[https://www.alba.co.jp/articles/category/tour/jgto/post/column-20041/#google_vignette{{Cite web |title=9打差逆転!トラブル・珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ 1980年日本国土計画サマーズ【名勝負ものがたり】]|url=https://www.alba.co.jp/articles/category/tour/jgto/post/column-20041/#google_vignette|website=www.alba.co.jp|access-date=2023-07-19}}</ref>。森は[[船渡川育宏]]と同じ組で、第1打を左のラフに打ち込んだが、第2打をサンドウェッジで振り抜いた瞬間、ボールが消える<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ" />。森は「あれ?ボールはどこだ」と一瞬戸惑って「埋め込んじゃったのかな」と足元を見直したがどこにもなく、クラブフェースを見てみると、そこに[[土]]と[[草]]が[[団子]]状になり、ボールもそこにくっついていた<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ" />。判断に迷った森は、同伴競技者である金井の顔の前にそのクラブヘッドを突き出しながら「ねえ、金井さん、これどうしたらいいの?」と言うと、困った金井は「え?分かんないよ」といきなりその場から走って逃げだし、森はクラブを突き出しながら「そんなこと言わないで教えてよ」と追った<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ" />。前代未聞の[[鬼ごっこ]]を見た周囲は、腹を抱えて笑うしかなかった<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ" />。森は結局元の場所に戻り、クラブを地面に置いてやっと取れたが、これでも1打の計算になり、このホールはダブルボギーの6と当時の記録に残された<ref name="珍事連発の末に前代未聞のフィナーレ" />。
 
[[1981年]]の日本オープンでは2日目にグリーンを外しながらも寄せやすいところばかりで助けられ、連日パープレーの通算イーブンパーで首位に立つ<ref name="1981日本オープン">[https://www.golfdendou.jp/jga_jog/46-1981.html 第46回日本オープンゴルフ選手権(1981年)]</ref>。3日目には69をマークして1アンダーで首位を守り、首位スタートで迎えた最終日は2番のトリプルボギーで一旦後退したが、その後3バーディーで盛り返し、12番でボギーとして通算イーブンパーになった<ref name="1981日本オープン" />。13番以降3ホールを1パットパーで切り抜けるなど粘ってスコアを守り、18番もグリーンを外してアプローチで1mになる<ref name="1981日本オープン" />。見守る羽川はプレーオフを覚悟していたが、18年目のベテラン森はプレッシャーに押しつぶされたのか、そのパーパットを外す<ref name="1981日本オープン" />。新鋭の羽川と激しい競り合いを繰り広げた末、中嶋と並んでの2位タイ<ref>{{Cite web |title=JGA 日本ゴルフ協会【日本オープンゴルフ選手権競技】|url=http://www.jga.or.jp/jga/html/2006/08-0/history/champions_02.html|website=www.jga.or.jp|access-date=2023-06-18}}</ref>に終わった。