削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
リンク追加
 
10行目:
一渓道三流を宗とし、古医書の探討、校正に尽力、[[室町時代]]、それ以前の医書約35部を補修した。古医書の保存に尽力したのみならず、『本朝医談』など多くの医学に関する著述を残した<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1069777/1/115 富士川游 著『医史叢談 : 科学随筆』,「奈須柳村に就いて 江戸時代末期に於ける醫家の書誌學者」P217~225,書物展望社,昭和17]</ref>。『本朝医談』の序は[[大石千引]]が<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/3359370/1/35  『日本医史学雑誌』46(4)(1500),日本医史学会,2000-12]</ref><ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2535660/1/6 『本朝医談』,伊勢屋忠右衛門,文政5]</ref>、『本朝医談二編』の序文は[[天野政徳]]が書いている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2535661/1/4 『本朝医談二編』,刊,文政13刊]</ref>。
 
[[尾張藩]]医第五代[[浅井図南]]の『扁鵲倉公列伝割解』([[史記]]第105巻)を補修するなど、漢文学にも詳しかった。[[晋 (王朝)|晋]]代の[[王叔和]]による[[脈診|脈診書]]である『[[脈経]]』、紀元[[280年]]に[[皇甫謐]]によって書かれた現存する最古の[[鍼灸]]医学書『甲乙経』、漢方で薬用とする植物をまとめた『[[本草学]]』、[[陰陽五行思想|陰陽五行]]・鍼灸・脈に関する中国最古の医書『[[黄帝内経|素問]]』の講義を集めた『四経講義』を[[文政]]元年([[1818年]])に書いている<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/1889595/1/16 『刀圭新報』2(12), 奈須柳村先生(承前) / 富士川子長/p458~462,日本医師協会事務所,1911-07.]</ref>。
 
== 系譜 ==