削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
32行目:
[[元亀]]元年([[1570年]])、[[池田恒興]]の三男として[[尾張国]][[犬山城]]で生まれた<ref name="p428">{{Harvnb|堀田|1923|p=428}}</ref><ref name="p25">{{Harvnb|蔵知矩|1934|p=25}}</ref>。生母は、恒興正室の[[善応院]]殿<ref name="p25"/>。
 
[[天正]]9年([[1581年]])、12歳の時に[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]の養子([[猶子]])となり<ref name="p25"/>、羽柴姓を許されて、'''羽柴藤三郎'''を称する<ref name="a">{{Harvnb|阿部|1990|ref=sen|p=76}}</ref>。この時、羽柴家の澤潟(おもだか)の紋を授かった<ref name="p25"/>。
 
天正12年([[1584年]])、[[小牧・長久手の戦い#長久手の戦い|長久手の戦い]]に池田勢として出陣して、勝利の暁には秀吉より[[稲葉郡]]を恩賞として与えるとの約束されていた<ref>{{Citation |和書|last =宮本|first=義己|author-link=宮本義己|year=2015|series=歴史群像デジタルアーカイブス<徳川家と江戸時代>|publisher=学研|edition=Kindle|title =春日の局と乳母の歴史}}{{ASIN|B00TZP5FL0}}</ref>が、4月9日に池田勢は大敗して、父・恒興と長兄・[[池田元助|元助]]、義兄・[[森長可]]が戦死し、この時に長吉も傷を負った<ref name="p428"/>。28日、池田家の跡は次兄の[[池田輝政|輝政]]が継いだ<ref>{{Harvnb|蔵知矩|1934|loc=p.6}}</ref>。{{see also|小牧・長久手の戦い}}