「THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)」の版間の差分

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『'''THE MANZAI'''』(ザ・マンザイ)とは、[[1980年]] - [[1982年]]に、[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]『[[火曜ワイドスペシャル]]』内で単発[[特別番組]]として3か月に1回の割合で計11回放送された[[バラエティ番組]]である<ref name="nikkei1602">{{Cite news|title=1980年「MANZAI」に賭けた男たち 鬱屈した野心の化学反応が、大革命を起こした|website=[[日経ビジネス]]|publisher=[[日経BP]]|date=2016-05-03|author=河瀬大作他
|url=https://business.nikkei.com/atcl/report/15/070300016/043000019/|accessdate=2022-11-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190202212333/https://business.nikkei.com/atcl/report/15/070300016/043000019/|archivedate=2019-02-02}}</ref><ref group="注釈">番組中期からは、時間帯は一緒ながら『火曜ワイドスペシャル』の枠名が消えるようになった</ref>。番組を仕掛けたのは、当時肩身が狭かった[[横澤彪]][[テレビプロデューサー|プロデューサー]]を中心としたフジテレビ演芸班<ref name="nikkei1602"/><ref name="横澤">[https://www.youtube.com/watch?v=7Pl1pl4MIxI 「放送人の証言」074 横澤彪] – [http://hosojin.jp/index.html 放送人の会]{{Cite web |url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1347875?page=2|date=2024-09-207|title=放送界の先人たち・横澤彪氏~“ひょうきん族”スタート時は「やけくそ」~【調査情報デジタル】|website=[[TBS NEWS DIG]]|publisher=[[ジャパン・ニュース・ネットワーク]]|accessdate=2025–01–07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20250106222149/https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1347875?page=2|archivedate=2025–01–06}}</ref>。
 
== 概要 ==
毎回数組の漫才コンビが[[漫才]]を披露するというシンプル極まりない番組だったが、従来の[[背広|スーツ]]姿の男2人が「ねえ、きみ」「なんやねん」などと典型的な[[漫才#基本形式と構成|掛け合い]]を繰り出すような古臭い[[演芸]]番組のスタイルを全て排して<ref name="nikkei1602"/><ref name="横澤"/><ref name="宝島special">{{Cite book|和書|url=https://tkj.jp/book/?cd=12148301|author=熊崎敬|title=[[別冊宝島]]special 昭和発掘 黄金の時代、再び 秘蔵写真と証言で蘇る、昭和メモリー|chapter=<small>人気はスーパーアイドル級!稼ぎはプロ野球最高峰のなんと10倍</small> B&B洋七がいま明かす漫才ブーム破天荒回顧録|year=2017|publisher=[[宝島社]]|isbn=978-4-8002-7588-2|pages=58–63}}</ref>、フジテレビらしい画期的な演出(客席に若者しか入れない、出演者もベテラン勢を1~2組程度に留め若手コンビを中心とする、出演者の服装は自由、舞台セットを豪華でポップなものにする、[[小林克也]]の[[アメリカニゼーション|アメリカナイズ]]された[[呼出|呼び出し]]に、コンビが登場する時の[[出囃子 (お笑い)|出囃子]]は[[フランク・シナトラ]]の「When You're Smiling」(邦題「[[君微笑めば]]」)の前奏と後奏を合わせ、煌びやかなステージに登場する若手漫才師の姿を何台ものカメラがダイナミックに捉える、ネタの冗長な部分に編集を入れるなど)を凝らした結果、若者にも受け入れられるテレビ向け漫才の確立に成功<ref name="nikkei1602"/><ref name="横澤"/><ref name="宝島special"/>。『[[花王名人劇場]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]]制作)とともに[[漫才ブーム]]の基を築いた<ref name="横澤"/><ref name="宝島special"/><ref>[http://www.km-jimusho.com/history/053.html 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所]</ref>。[[漫才#基本形式と構成|漫才のスタイル]]、イメージを劇的に変え<ref name="宝島special"/>、スピード感とライブ感に溢れる今風の漫才は、本番組によって確立された<ref name="宝島special"/>。
 
漫才番組の中でも別格的存在であり、出演者にとってはまさに真剣勝負の場でもあった。出演順は抽選で決められ、楽屋では常に緊張感が漂っていたという。
 
また、本編の漫才の前に必ず外国人を使った、演者の名をPRした海外のCM風パロディのショートフィルムが流れていたという。
 
== 第1回放送 ==
第1回が放送された[[1980年]][[4月1日]]は、[[TBSテレビ|TBS]]で[[ザ・ドリフターズ]]の[[特別番組|特番]]の放送が予定されていて([[日本テレビ系列|日本テレビ]]は『[[探偵物語]]』最終回)<ref name="横澤"/>、[[裏番組]]が強力すぎなことから、フジテレビは当初予定していた制作班が逃げた<ref name="横澤"/>。当時フジテレビの演芸班に所属していた[[横澤彪]]は、編成から「企画を出せ」と強制的に企画の提出を求められていたことから、やるつもりもなく、ほぼ趣味でたくさんお笑い番組の企画を提出していた<ref name="横澤"/>。たまたま出していた『東西対抗漫才大会』という企画が編成の目に留まり、これをドリフの裏でやらないかと言われた<ref name="横澤"/>。『東西対抗漫才大会』という企画自体は、漫才ブームを興した切っ掛けとして知られる1980年1月20日に放送された[[花王名人劇場]]『[[激突!漫才新幹線]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]])と同じということになる。フジテレビのゴールデンタイム([[プライムタイム]])で漫才番組が放送されるのは前例のない、あるいは何10年ぶりかの企画で、横澤は当時は[[漫才ブーム]]が来るとは全く思っていなかったというが、フジテレビの編成では漫才番組がいけるのではないかという考えが既にあったという<ref name="横澤"/>。どうせドリフには勝てないだろうからと、横澤らスタッフはそれなら自分たちがやりたいこと、「"[[構造改革]]"をやりたい」という意見が出て、前述した画期的な演出アイデアが次々生まれた<ref name="横澤"/>。『THE MANZAI』という[[タイトル#題名|タイトル]]も企画を進めるうち、美術デザイナーが[[アルファベット|横文字]]で『MANZAI』と[[ローマ字]]表記で書かれた[[背景]]の[[イラスト]]を持って来て、これを[[イルミネーション|電飾]]で置きたいと提案<ref name="横澤"/>。スタッフがこれはいいとなり、後から「THE」を付け足し『THE MANZAI』になった<ref name="横澤"/>。ところがこのタイトルに編成が猛反対し、喧嘩となり、妥協案としてサブタイトルのやたら長い番組名となった<ref name="横澤"/>。出演者の漫才師も視聴者もそれまでテレビで見たことのない若手にしようとなったが、彼らは当時既に30歳前後だった<ref name="横澤"/>。有名無名に関係なく、自分たちが聞いてみて、何かメッセージを感じる人、[[イデオロギー|メッセージ性]]を持ってる人にしようとスタッフでこっそり[[寄席|演芸場]]を見て回り、[[ネット番組#全国ネット番組・テレビ|全国ネットの番組]]に出たことのない人たちを集めた<ref name="横澤"/>。横澤は「視聴者としては今まで見たことのなかった人たちのメッセージはショックだったのではないか。それが第一段階としては成功した一つの要因」と述べている。お客も従来の演芸番組のお客を入れ替え、スタッフみんなで各[[大学]]の「落語研究会」や「クイズ研究会」「プロレス研究会」「鉄道研究会」のような[[サークル活動|サークル]]に電話を掛けてお客を集めた<ref name="横澤"/>。横澤は集めた演者(漫才師)の感覚が鋭く、自分たちより先を行っていると感じたという<ref name="横澤"/>。
 
== 第2回以降 ==
漫才番組の中でも別格的存在であり、出演者にとってはまさに真剣勝負の場でもあった。出演順は抽選で決められ、楽屋では常に緊張感が漂っていたという。
 
最大のハイライトが[[博品館劇場|銀座博品館劇場]]からの生中継だった1980年12月30日放送の第5回で<ref name="nikkei1602"/>、[[視聴率]]は関東32.6%、関西で45.6%を記録した<ref name="nikkei1602"/>。
 
そして[[1982年]][[6月15日]]放送の第11回を最後に放送されなくなるが、[[2001年]][[5月19日]]に当時の東西人気漫才コンビにより『'''THE MANZAI2001 ヤングライオン杯'''』が19年ぶりに放送された。この回のみ[[関東ローカル]]で放送された(ただし、他の地域でも遅れネットで放送された実績あり)。なお[[谷良一]]によると同年8月に第2回放送予定されていたが、視聴率が振るわなかったので立ち消えとなった<ref>{{Citation|和書|author=谷良一|year=2023|date=2023-11-15| title=M-1はじめました。|publisher=[[東洋経済新報社]]|pages=82-84|isbn=978-4492047552}}</ref>。
 
その後、[[2010年]]で一旦、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]発の全国ネットで放送されていた漫才のコンテスト「[[M-1グランプリ]]」が廃止されたことを受けて、[[2011年]]から[[2014年]]まで[[日清食品 THE MANZAI]]として漫才のコンテストを開催していたが、[[2015年]]から「M-1」が再開されることを受けて、当頁の体裁と同じ漫才のネタ見せ番組として『[[Cygames THE MANZAI マスターズ]]』が開始された。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2062847/full/|title=フジ『THE MANZAI』ネタ見せ番組として継続へ|publisher=ORICON STYLE|date=2015-11-25|accessdate=2015-12-03}}</ref>
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!回数!!放送日時!!サブタイトル!!視聴率
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|style="text-align:center"|第1回||1980年4月1日<br />20:00 - 21:24||火曜ワイドスペシャル THE MANZAI<br />翔べ!笑いの黙示録東西激突!残酷!ツッパリ!ナンセンス<ref name="横澤"/><ref name="shashin">『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p51</ref>||15.3%
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|style="text-align:center"|第2回||1980年5月20日<br />20:00 - 21:24||火曜ワイドスペシャル THE MANZAI2<br />東西人気漫才激突!今君に贈る笑いのメッセージ||17.2%