「ニュージーランドの競馬」の版間の差分

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===運営と競馬場===
[[file:Uncle Petrika (harness racing-trotter).jpg|thumb|left|ニュージーランドで盛んな繋駕速歩競馬]]
駆歩競馬を行う平地競馬場は「Racecourse(本項では『競馬場』とする)」と呼ばれる。ニュージーランドを代表する3つの平地競馬場は、首都[[ウェリントン]]の[[トレンサム競馬場]]、最大の都市[[オークランド]]の[[エラズリー競馬場]]、南島最大の都市[[クライストチャーチ]]の[[リカルトンパーク競馬場]]の3場である。このほか各地に競馬場がある。
 
競馬の開催は各地のレーシングクラブ(競馬会)が行う。レーシングクラブの会員になるには、(クラブごとの差異はあるが)概ね数十NZドルから数百NZドルの年会費を支払う<ref>たとえば南島西海岸のウェストランドレースクラブという比較的小さなクラブでは年15NZドルだが、ウェリントンレーシングクラブになると年200NZドル、ゴールド会員は500NZドルといった具合である。(2013年現在)</ref>。国内の主要な団体は、ウェリントン競馬会('''WRC'''、トレンサム競馬場で開催)、オークランドサラブレッドレーシング('''ATR'''、エラズリー競馬場で開催)と、クライストチャーチのカンタベリージョッキークラブ('''CJC'''、リカルトンパーク競馬場で開催)の3団体である。[[日本]]の4分の3の国土面積ながら全国各地に60の競馬会があるが<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=ニュージーランドの競馬場 - 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (JAIRS)|url=https://www.jairs.jp/contents/courses/new.html|website=www.jairs.jp|accessdate=2021-03-31}}</ref>、年間1開催しか行わないものや、経営難から事実上休止している競馬会もある。これらを含め、国内の[[平地競走]]は'''ニュージーランド・サラブレッド・レーシング'''('''NZTR''')が統轄している。
 
ハンデ戦が多く、[[オーストラリア]]との競走馬の往来も多い<ref name="kaigai_NZ"/>。
 
このほか、南島を中心にした[[繋駕速歩競走]]を行う競馬場は「Raceway(本項では『繋駕競走場』とする)」と呼ばれ、団体やNZTRなどがニュージーランドレーシングボード(NZRB)を作っている。
 
===競走の種類===
競馬の黎明期には、ギャロウェー種、[[ハクニー]]種、など様々な品種のウマによる混合競走が行われたが、1860年に初めて[[サラブレッド]]だけの平地競馬が行われるようになった。サラブレッドは1840年代から[[イギリス]]、オーストラリア、[[アメリカ]]などから輸入された<ref name="mint_hyakka"/><ref name="sekaisi_19c"/>。
====平地競走(駆歩競走)====
隣国オーストラリアと同様に、ニュージーランドでも競馬は主にギャンブルとして発展した。そのため、各馬が平等な条件で競走する定量戦、馬齢重量戦よりも、強い馬と弱い馬のどちらも同じぐらい勝つ可能性がありそうなハンデ戦のほうが主流となった。このことは、種牡馬選定競走という意味でのクラシック競走の価値がそれほど高くないということを意味する。このため国内のダービーなどのクラシック戦を勝ったものもすぐに引退して種牡馬になるということはない。こうしたものも去勢されて騸馬になって長く競走生活を送る傾向が強く、種牡馬はもっぱらイギリスや[[アイルランド]]からの輸入に頼っていた。少なくとも1960年代半ばまでは、国内の種牡馬の95%以上がイギリス・アイルランド産だった<ref name="YS_6708NZ">『優駿』日本中央競馬会,1967年8月号「日本とニュージーランドの生産」p12-16</ref><ref name="PW_AUSNZ">『サラブレッド』ピーター・ウィレット著、日本中央競馬会・刊、1978、p201-223「オーストラリア、ニュージーランドおよび南アフリカのサラブレッド」</ref>。
 
19世紀の終わり頃には各主要都市や地方都市の競馬クラブが集まって駆歩競馬協議会(Racing Conference)を組織した。協議会では中長距離重視の原則をたて、この原則は少なくとも1960年代まで維持された。その結果、[[ウェリントンカップ]][[オークランドカップ]]のような2マイル(3200メートル)のハンデキャップ競走がニュージーランドで最も賞金の高い競走となった。クライストチャーチのニュージーランドカップとウェリントンのHRチャルマーズハンデがこれに続いた。また、地方の競馬クラブでは、競馬施行規則でカップ戦を1マイル1/4以上(2000メートル)で行うべしと定め、実際に11 - 12ハロン(2200 - 2400メートル)で開催した。重要な長距離戦は、競走馬の成長を待つために、晩春や夏(南半球なので12月に相当する)に行われた。馬の方も2歳の早い時期から競走に出すことはあまり行われず、3歳や4歳まで牧場で過ごして十分に成長するのを待った<ref name="YS_6708NZ"/><ref name="PW_AUSNZ"/>。
 
クラシック競走は、はじめに南島のクライストチャーチ(カンタベリージョッキークラブ)で始まった。すぐに北島のオークランド(1865年までは首都だった)でもこれに続いた。やがて両者の中間にあるウェリントンでもクラシック競走が行われるようになり、3箇所でそれぞれクラシックレースを行うようになった。しかし、ウェリントンに首都が移り、ウェリントンやオークランドのある北島のほうが人口が伸び、それにつれて南島の競馬は衰えた。ウェリントン、オークランドの競馬クラブがそれぞれクラシック五冠(ダービー、オークス、セントレジャー、2000ギニー、1000ギニー)を行い、クライストチャーチではダービーとオークスが行われた<ref name="PW_AUSNZ"/>。これら各地のクラシックは1973年に再編された。
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速歩競馬は1870年代にサラブレッド競馬の余興として始まった。オーストラリアでは速歩競走は人気が出ずに廃れたが、南島では人気が出てアメリカン・トロッターを輸入して速歩競走が盛んになった。南島ではサラブレッドの平地競走と同じぐらい、速歩競走(繋駕速歩競走)の人気があり、現在もサラブレッド競馬を上回る高額賞金競走が盛んに行われている<ref name="mint_hyakka"/><ref name="sekaisi_19c"/>。
====障害競走====
障害競走はニュージーランドの競馬の発祥の時から存在した。1841年にネルソンで置き障害を使った競走がはじまり、陸軍将校によって盛んに行われた。1904年にはニュージーランド産馬がイギリスの[[グランドナショナル]]を勝つまでになった<ref name="sekaisi_19c"/>。
 
===馬券の発売===