「マルティン・ハイデッガー」の版間の差分

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==== vorhandenとzuhanden ====
ハイデッガーの見地においては、行為に対する理論の伝統的優位が逆転される。彼にとって理論的な見解というものは人工的なものであり、関わり合いを欠いたまま事物を見ることによってもたらされるものであり、そうした経験は「平板化」(Nivellierung)<!--英語版ではlevelled off-->されたものである。こうした態度は、ハイデッガーによってvorhanden(vorhanden(眼前的<ref>加藤恵介1985)</ref>、事物存在的<ref name="#14">小林睦2008年,p14.</ref>、客体的、すでに手のうちにある)と呼ばれ、[[相互行為]]のより根源的なあり方であるzuhanden(用具的、道具的<ref name="#14"/>、手の届くところにある)な態度に寄生的な欠如態とされる。寄生的というのは、歴史のうちにおいてわれわれは、世界に対して科学的ないし中立的な態度をもちうるよりも前に、まず第一に世界に対する何らかの態度や心構えをもたなければならないという観念においてのことである。
 
==== 共同存在 ====