「ファンタスティック・マック」の版間の差分

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==解説==
前年[[1974年]]に、イギリスからメリカに活動拠点を移し、ザ・ミュージック・マシーンなるムはンドのベース奏者だったキース・オルセンをプロデューサーに据えて制作された。同作でフリートウッド・マック商業的に大きな成功を収めたつかんだ最初のアルバムである。
 
[[1974年]]12月、フロントマンであった[[ボブ・ウェルチ (ミュージシャン)|ボブ・ウェルチ]]が脱退し、バンドは3人になってしまっていた。その頃、あるスタジオで新アルバムの録音エンジニアのオーディションをしていた[[ミック・フリートウッド]]と[[ジョン・マクヴィー]]は、このアルバムのエンジニアとなるキース・オルセンがオーディションに持ち込んだ作品によって当時「バッキンガム・ニックス」という名のデュオとして活動していた[[リンジー・バッキンガム]]と[[スティーヴィー・ニックス]]を知る。ミックは、新たなメンバーとして2人にバンドへの参加を要請し、程なく2人はバンドに合流した。
 
新たな編成になったフリートウッド・マックは、ニックス・リンジー・クリスティンの3人がソングライター、ボーカリストとしてバンドを引っ張るようになった。アルバムの録音は3ヵ月ほどかけられた。そうして作成されたこのアルバムでは、音楽性がよりポップな方向へと変わっていた。「[[オーヴァー・マイ・ヘッド]]」「[[リアノン]]」「[[セイ・ユー・ラヴ・ミー]]」の3曲がトップ20ヒットになり、アルバムは、フリートウッド・マック初の[[ビルボード]]1位(1週/[[1976年]][[9月4日]]付)を獲得した。ビルボードアルバムチャートにおいて、チャートインから58週目に1位になるという珍しい記録もある(ただしチャート1位の座にあったのは、わずかに1週間だった)。完成したアルバムを聞いた[[ワーナー・ブラザース]]の幹部はアルバムの出来に興奮して25万枚売れるだろうと期待したのだが、予想は良い方に大きく外れ500万枚以上の売り上げを記録([[RIAA]]認定)した。