「第1次アル=ファオの戦い」の版間の差分

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== 概要 ==
開戦以来、イラク軍は相次ぐバスラ正面の防御戦忙殺され、イラク最南端の要衝ファオ半島の防御体制は疎かになっていた。もっとも、イラン軍がファオ半島に進行する可能性は諸事情(天然の障害である[[シャッタルアラブ川]]の存在と、イラン軍の揚陸戦力の不足等)から低いと見積もられていた。しかし、イラクにとり重要な収入源である[[石油]]積出港を急襲し、戦争経済に打撃を与えるべくイラン軍は攻勢を決心した。
 
革命記念日である[[2月11日]]頃にファオ半島を攻略すべく、イラン軍は舟艇の準備を進め、且つ[[モハンマド・レザー・パフラヴィー|パフラヴィー]]時代に[[イギリス]]に発注した[[揚陸艦]](2,500t級)2隻を受領した。また[[イラン・コントラ事件]]を通じて多数の米国製兵器(特に[[AH-1 コブラ]]の予備部品や[[BGM-71 TOW]]を多数調達でき、対戦車火力が充実した)を得て攻勢準備は整いつつあった。