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'''横山 由依'''(よこやま ゆい、[[1992年]]〈[[平成]]4年〉[[12月8日]] - )は、日本の[[俳優|女優]]、[[タレント]]、[[YouTuber]]であり、女性アイドルグループ
[[京都府]][[相楽郡]][[木津町]] (現在の[[木津川市]])出身<ref>「やましろ発見伝! ここに幸あり① AKB48 横山由依さん(19)」『朝日新聞』2011年11月1日付朝刊、南京都版、第32面</ref><ref>木津川市市長公室学研企画課編「{{PDFlink|[https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/10,633,c,html/633/20120402-184652.pdf 広報きづがわ2012年3月号(No.60)]}}」木津川市役所、2012年3月</ref><ref>木津川市市長公室学研企画課編「{{PDFlink|[https://www.city.kizugawa.lg.jp/index.cfm/10,633,c,html/633/20130201-120009.pdf 広報きづがわ2013年1月号(No.70)]}}」木津川市役所、2013年1月</ref><ref name="ゆいはん号">[https://web.archive.org/web/20160328015723/http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20160328000032 「ゆいはん、やましろ推し!」ラッピングバス2台目(京都新聞、2016年3月28日発信)]</ref>。[[太田プロダクション]]所属。夫はコーラスグループ「[[純烈]]」メンバーの[[後上翔太]]<ref name="sponichi20241202"/>。 == 来歴 ==
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* 地方組(大家志津香、北原里英、指原莉乃)は親ぐるみで仲が良い。また、卒コン直前SPで13期の岩立沙穂によると岩立の母と横山の母が仲良しで、横山が卒業発表した際は岩立の母が横山の母にLINEをしていたとの事。地方組は仲良しなのだが、なぜか指原莉乃との不仲説が浮上したことがある。また、同期の[[山内鈴蘭]]とは実際に多少不仲であったが、横山は不仲説が出たことに驚いていた。しかし、9期10周年公演での両者によるとある時にお酒を飲みながらお互いに大人になったね、などと話す中で誤解などを含め邂逅したと話している。
* メンバーに対しても気遣いがマメであり、LINEを素早く返したり長文を送ったり、卒業コンサートの前日に長文のLINEを送ったり、当日には出演メンバーの一人一人に手書きの手紙を書いて渡していた。また、行天優莉奈によれば卒業フォトブックが出た後、卒業するまでに全員にサインとメッセージを書いて渡せないメンバーの為に公演の楽屋に残していたという。
* 高橋みなみに次ぐ「大丈夫センサー」の持ち主と言われており、様々なメンバーを助けたり、また気づかれたことに驚かせたりしていた。それゆえに公演や雑誌インタビューなどでメンバーを助けたりした逸話やイケメン話が度々メンバーから語られている。逸話の例は現役時代の[[高橋朱里]]が泣いて電話して来た時には家まで駆けつける、焼肉屋で号泣した現役時代の[[荻野由佳]]の話を優しく聞いてあげる、
* 候補生時代は地元の高校に通いながら、放課後はファーストフード店やファミリーレストラン、食品工場などでアルバイト、帰宅後に自主練習をしていた。金曜日の夜行バスで東京に向かい、土日はレッスンに参加し、再び夜行バスで京都に帰宅する日々を送っていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/akb48/news/202111270000675.html|title=横山由依「最高の思い出を作りましょう!」卒業コンサートがスタート|publisher=日刊スポーツ|date=2021-11-27|accessdate=2021-11-27}}</ref>。夜行バスの交通費と宿泊ホテルの利用料は、自身のアルバイト代で賄っていた<ref name="a09"/>。
* [[関東地方]]以外出身の研究生から正式メンバーへの昇格は横山で6人目、[[近畿地方]]出身者の昇格は初めてである。2010年6月、新チームAが新公演の準備を進める中、ダンスコーチから振り付けなどを学び、多忙でレッスンに参加できない[[篠田麻里子]]に内容を伝える中継役を、他の新チームAメンバーの協力を得つつ務めている<ref name="a09">『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』増刊 2011年5月1日号「まるっとAKB48スペシャル」([[光文社]]){{要ページ番号|date=2014年11月}}</ref>。後に友撮本の対談において篠田によると、本来は篠田のアンダーは横山では無い研究生だったが、篠田がたまたま研究生のレッスンを見る機会があり、そこで真剣に一生懸命踊っていた横山を見て「絶対あの子(横山)が良い!」とお願いしていたことを話した(篠田曰くは私のわがまま、とのこと)。また、横山の他叙伝において高橋みなみは篠田はプロ意識が高い為、研究生にはハードルが高かったが横山はしっかりとこなし、「あの子(横山)凄い」と後輩を誉める事が滅多にない篠田が褒めたことを話した。大家志津香は「(当時の)横山は毎日懸命に練習していた為、寝ながら(チームAの曲の)カウントを数えていた」と話し、同期の[[永尾まりや]]は「選抜は挨拶するのも恐れ多かったので、私じゃなくて良かったと思ったほどです」と発言している。
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