「釜山港へ帰れ」の版間の差分
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*[[日本]]では1977年に、[[李成愛]]のLP『納沙布岬/演歌の源流を探る』に収録された。これが本楽曲が日本に紹介された最初とされる<ref name=eiga_8312>{{Cite journal|和書|title=話題の歌手(41)渥美二郎 / 遠山一彦|journal=映画情報|volume=48|issue=12|publisher=[[国際情報社]]|date=1983-12-01|pages=63|id={{NDLJP|2343798/63}}}}</ref>。続いて水野浩二が自主制作アルバムにまったく別な訳詩で収録し、のちのシングル盤(日本プリンスレコード NPS-1082 三佳令二訳)では水野が日本人で初めてレコーディングしたと書かれている。1979年に、[[殿さまキングス]](殿キン)が「泪の波止場」というタイトルでシングルを発売した。殿キン版の歌詞はほぼ大部分が「釜山港へ帰れ」(の訳詞)と同じではあるが、釜山港というフレーズの部分は違う歌詞となっていた(作詞者は同じく三佳令二である)。
*さらに日本では1983年、チョー・ヨンピルが来日時に[[日本放送協会|NHK]]で歌い注目され、16人の歌手による競作となる<ref name="osa_187">[[長田暁二]]『昭和歌謡 流行歌からみえてくる昭和の世相』敬文舎、2017年、187頁。ISBN 978-4-906822-76-8。</ref><ref name="won_121" />。中でも[[渥美二郎]]が<!--ロック調にアレンジして ※チョー・ヨンピル歌唱の1982年版がそういうアレンジで、渥美をはじめ同時期のカバー版は概ねそれに準拠。-->歌ったものが70万枚を超える<ref>読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』現代教養文庫、1997年、59頁。ISBN 4390116029</ref>(または80万枚<ref name=osa_187 />)大ヒットとなったほか、チョーが歌ったものが26万枚<ref name=osa_187 />、李成愛が歌ったものが20万枚<ref name=osa_187 />を売り上げ、競作累計では150万枚以上<ref name=osa_187 />を売り上げた。また、CBS・ソニーでは200万枚、競作累計では300万枚近くを売り上げたとする文献もある<ref name="won_121" />。
*[[藤圭子]]、[[森昌子]]<ref>カバーアルバム『森昌子 艶華12』(1984年3月21日発売)に収録。</ref>、[[桂銀淑]]、[[ジェロ]]もこの曲をカバーした。シングルとして発売したものは渥美やチョー、李の他、[[美川憲一]]、[[増位山太志郎]]、[[日野美歌]]、[[内田あかり]]、[[北原ミレイ]]、松浦真弓、山口順子、水野浩二、川西杏(「釜山港へ帰れ(泪の波止場)」の曲名)らがいる。また異色的にポール・モーリアによるインストゥルメンタル版のシングルもリリースされている。なお、日野(A面曲は「想い出グラス」)、松浦(A面曲は「盛り場ぐらし」)はB面扱い。水野はアルバムに収録した後、競作ブームの中でインディーズの日本プリンスレコードからA面でリリースした後、メジャーリリースの「大田ブルース」(ワーナー・パイオニア)のB面に収めている。増位山、北原、李、桂、川西のバージョンは2番が[[韓国語]]で歌われている一方、殿キン、渥美、美川、日野、内田、松浦、山口の発売したシングルでは全編日本語詞である。チョーは最初にシングルで出したものは1番が日本語で2番が韓国語だが、1988年4月25日発売のシングル「窓の外の女/釜山港へ帰れ」(ポリスター H10C-30004)に収録されたものは全編日本語詞である。水野は最初にアルバムに収録した物は全編日本語、シングルで出したものはプリンス版がA面が日本語でB面が韓国語、ワーナー版が1番が日本語で2番が韓国語である。
*1983年11月8日には『[[NHK歌謡ホール]]』([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])にて渥美とチョーが共演<ref name=eiga_8312 />。同年11月14日には『[[夜のヒットスタジオ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)にて渥美やチョーをはじめ、殿
*1984年3月22日に行われた1983年度のCBS・ソニー賞(ヒット賞)の授賞式で、この曲を作詞・作曲した黄善雨とCBS・ソニーから発売した歌手の内田と渥美が同賞を受賞した<ref name="won_121" />。
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