「福原 (神戸市)」の版間の差分
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'''福原'''(ふくはら/ふくわら)は、古くは[[平清盛]]を中心とした[[平氏政権]]の[[福原京]]で知られる地名である。[[平安時代]]には現在の[[兵庫県]][[神戸市]][[兵庫区]]荒田町・平野町から神戸市[[中央区 (神戸市)|中央区]][[中山手通]]にかけての地域を中心として福原荘が存在し、荘園の中に福原京が置かれていた<ref>『兵庫県の地名』1(日本歴史地名大系 第29巻, 平凡社, 1999年10月)、102頁</ref>。平氏の滅亡後、荘園は[[鎌倉幕府]]が没収した。
現在は兵庫県神戸市兵庫区福原町(ふくわ
この項目では、後者の'''福原町'''について記述する。尚、町名の正式な読みは「ふくわらちょう」だが、主に風俗街を指して専ら「ふくはら」と通称される<ref group="注釈">同様の例として[[川崎市]]の有名なソープランド街である[[南町 (川崎市)|南町]]も本来は「みなみまち」だが、風俗街としては「みなみちょう」と読まれる。</ref>。
== 歴史 ==
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[[1858年]]([[安政]]5年)に[[日米修好通商条約]]が締結された後、[[兵庫区|兵庫]]の市街地と[[神戸外国人居留地|神戸の外国人居留地]]周辺の有力者たちは現地に[[劇場]]や[[遊廓]]を設置しようと、相次いで許可を求めた<ref name="kato60"/>。そして[[1868年]](慶応4年)2月19日、明治政府から遊廓の設置が許可される。遊廓の位置は居留地と兵庫の街区の双方から外れた地点にある[[宇治郷 (神戸市)|宇治川]]の河口付近右岸(宇治川尻、現・中央区[[東川崎町]]1-7丁目<ref name="kadokawa"> 『角川日本地名大辞典』28巻、1324頁</ref>、[[ハーバーランド]]に相当する地域<ref name="zatsu"/>)に定められ、同年3月1日に工事が開始された。
1868年5月(もしくは11/12月)に遊廓は開業し、福原京にちなんで'''福原遊廓'''と命名された<ref name="kato60"/><ref name="zatsu"/><ref name="kadokawa"/><ref>開港三十年記念会編『神戸開港三十年史』上巻(明治百年史叢書, 原書房, 1974年10月)、265頁</ref>。開業後に新たな[[妓楼]]が増築され、東京の[[吉原 (東京都)|新吉原]]同様に事務所が設置されて廓内の整備が進められる。[[1870年]](明治3年)6月に大阪・神戸間を結ぶ鉄道敷設に伴い、駅舎([[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]])の用地として指定された地区には福原遊廓が含まれていたため、[[1871年]](明治4年)5月に全ての妓楼が[[相生町 (神戸市)|兵庫相生町]]内の[[湊川 (兵庫県)|旧湊川]]堤
移転当時の新福原には、40軒の妓楼が存在していた<ref>神戸史学会『神戸の町名』改訂版、131頁</ref>。[[1872年]](明治5年)に[[芸娼妓解放令]]が出された時には新福原も陰りを見せたが、翌年に「[[座敷#遊廓語|貸座敷]]」としての営業が認められ、遊廓は存続する<ref name="kato62"/>。[[1873年]](明治6年)、県は私娼を駆逐するために兵庫・神戸における妓楼(貸座敷)の営業制限を撤廃し、市街地での貸座敷の営業の自由を認める「散娼」政策を実施する<ref>加藤『神戸の花街・盛り場考』、62-63頁</ref>。[[三宮]]、[[栄町通 (神戸市)|栄町]]、[[元町 (神戸市)|元町]]などには多くの妓楼が現れ、客が流出した新福原の貸座敷は7軒にまで減少した<ref>加藤『神戸の花街・盛り場考』、63頁</ref>。その後、貸席(貸座敷)・娼妓・芸妓の営業に規制が加えられ、県は「散娼」政策を一か所に娼妓を集める「集娼」に転換する<ref>加藤『神戸の花街・盛り場考』、64頁</ref>。[[1878年]](明治11年)に新規の貸席(貸座敷)の開業は福原に限定され、市街地の貸席・娼妓は福原に集められた。[[1896年]](明治29年)の台風で湊川が決壊したとき、福原も被害を受けた。
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== 沿革 ==
* [[1868年]](明治元年) - 福原遊廓の開業、兵庫津に区画。
* [[1872年]](明治5年) - 湊川東岸に移転し「福原町」起立。
* [[1879年]](明治12年) - 神戸区に区画。
* [[1889年]](明治22年) - 神戸市に区画。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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== 参考文献 ==
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