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ブリキの玩具: 1922年 八幡製鉄所がブリキの製造を開始
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[[日本]]国内ではブリキの板を[[ロボット]]や[[自動車]]、[[鉄道車両]]([[電車]]など)、[[船舶]]、[[航空機]]など[[乗り物]]のような形に成形・[[塗装]]した[[玩具]]を「ブリキのおもちゃ」と呼び、[[懐古]]趣味的に愛好する人々がいる。[[昭和]]初期~中期の生活史を懐かしむ文脈に、ブリキのおもちゃは現れる。19世紀から20世紀初頭にかけてドイツのメーカーが主戦場を築き上げたが、日本におけるブリキの玩具の登場は明治5-6年頃とされる。この頃、石油ランプの普及により大量の石油缶の空缶が廃棄されており、これに玩具業者が再利用して玩具を製造したという。明治7-8年頃ブリキ板が輸入されるようになったが、高価なため古ブリキによる玩具の製造は[[日清戦争]]の頃までつづけられた<ref>上 笙一郎/編『日本<子どもの歴史>叢書 ; 18 ; 日本金属玩具史』(久山社、1997年)73-75頁</ref>。
 
[[第一次世界大戦]]後の1922年(大正11年)、[[八幡製鉄所]]がブリキの製造を開始すると<ref>{{Cite book |和書 |author=下川耿史 家庭総合研究会 編 |title=明治・大正家庭史年表:1868-1925 |publisher=河出書房新社 |year=2000 |page=463 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>ブリキの入手が用意容易となり、日本の玩具メーカーが台頭して重要な輸出品になった。全盛期は戦後[[1950年代]]~[[1960年代]](昭和20~30年代)で、戦後の復興期においてブリキ製玩具の輸出は外貨獲得に貢献した。
 
== 脚注 ==