「森永ヒ素ミルク中毒事件」の版間の差分

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'''森永ヒ素ミルク中毒事件'''(もりながヒそミルクちゅうどくじけん)とは、[[1955年]]6月頃から主に[[西日本]]を中心に、[[ヒ素]]が混入した[[森永乳業]]徳島工場製の[[粉ミルク]]を飲用した乳幼児に、多数の死者・[[ヒ素中毒]]患者を出した[[事件|毒物混入事件]]である<ref name="konamilk">朝日新聞1955年8月28日『徳島工場だけで使用 森永発表』[[森永乳業]]徳島工場での[[粉ミルク]]製造過程の[[ヒ素]]混入の経緯は、粉ミルクの品質安定に「[[リン酸水素二ナトリウム|第二燐酸ソーダ]]」を使用していたが、外部業者が、食用に適さない粗悪な「第二燐酸ソーダ」を徳島工場に納入し、その中に[[不純物]]のヒ素が混入していた。そして、徳島工場は、適切な「第二燐酸ソーダ」であるかを検査をせずに使用し、このずさんな安全管理が事件を招いた。</ref>。その事件性から'''森永ヒ素ミルク事件'''(森永砒素ミルク事件、もりながヒそミルクじけん)とも呼ばれる。
 
日本では[[食品添加物]]の安全性や粉ミルクの是非などの問で、2025年現在でも[[消費者の権利]]として引き合いに出される事例となっている。また、[[食の安全|食の安全性]]が問われた日本で起きた事件の第1号としてもしばしば言及されている。
 
== 事件の概要 ==
[[森永乳業]]は、1953年頃から全国の工場で酸化の進んだ乳製品の凝固を防ぎ溶解度を高めるための安定剤として、[[リン酸水素二ナトリウム|第二燐酸ソーダ]](Na<sub>2</sub>HPO<sub>4</sub>)(NaHCO₃)を[[粉ミルク]]に添加していた。試験段階では純度の高い試薬1級の製品を使用していたものの、本格導入時には安価であるという理由から純度の低い工業用(無規格品)に切り替えられていた。
 
[[1955年]]に森永乳業徳島工場([[徳島県]][[名西郡]][[石井町]])が製造した缶入り粉ミルク(代用乳)「森永ドライミルク」(製造所コード「MF」の刻印がある缶)の製造過程で用いられた「第二燐酸ソーダ」に多量のヒ素が含まれていたため<ref name="konamilk"/>、これを飲んだ1万3千名もの乳児が[[ヒ素中毒]]になり、130名以上の中毒による死亡者も出た。この「第二燐酸ソーダ」は、外部業者が徳島工場に納入した食用に適さない粗悪な「第二燐酸ソーダ」であり、徳島工場が、適切な「第二燐酸ソーダ」であるかを検査をせずに使用したずさんな安全管理により事件へと発展した<ref name="konamilk"/>。