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: 『[[西行物語絵巻]]』(作者不明、2巻現存。[[徳川美術館]]収蔵)では、親しい友の死を理由に北面を辞したと記されている。
; 失恋説
:* 『[[源平盛衰記]]』に、高貴な上臈女房と逢瀬を持ったが「あこぎの歌」<ref>{{refnest|group="注釈"|「さても西行発心のおこりを尋ぬれば、源は恋ゆゑとぞ承る。申すも恐れある上臈女房を思ひ懸け進ぜたりけるを、阿漕の浦ぞといふ仰せを蒙りて思ひ切り、官位は春の夜見はてぬ夢と思ひなし、楽栄は秋の夜の月西へとなずらへて、有為世の契りを遁れつつ、無為の道にぞ入りにける。阿漕の歌の心なり。伊勢の海あこぎが浦に引く綱も度かさなれば人もこそ知れ」<ref>源平盛衰記、巻第八</ref>}}を詠みかけられて失恋したとある。この恋の相手の女性は[[藤原璋子|待賢門院璋子]]であるという<ref>出原博明「西行の出家と歌」(桃山学院大学人間科学、No.20、2000年)P.12</ref>。
:* 近世初期成立の『西行の物かたり』([[高山市]][[歓喜寺]]蔵)には、[[すだれ|御簾]]の間から垣間見えた女院の姿に恋をして苦悩から死にそうになり、女院が情けをかけて1度だけ逢ったが、「あこぎ」と言われて出家したとある。
:* [[瀬戸内寂聴]]は自著『白道』(1995年)の中で[[藤原璋子|待賢門院]]への失恋説をとっているが、[[藤原得子|美福門院]]説もあるとしている。
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=== 注釈 ===
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