「ウラジーミル・レーニン」の版間の差分

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人物像: ジャーナリストは著述以前の経歴で、この著作は歴史家/歴史作家としての仕事である
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レーニンは革命以前の地下運動で党員に自分の意思を押し付け、自分が辞任して放り出すと脅迫したりした{{Sfn| セベスチェン| 2017 |p=上19}}。革命後のレーニンは[[赤色テロ]]など暴力を肯定する政策を次々に打ち出していったが、業務においても処刑を通知する脅迫を繰り返した。レーニンは当局者のミスに厳格で、「一列に並べ、銃殺するぞ」と脅迫することを好んだ{{Sfn| セベスチェン| 2017 |p=下237}}。野戦用電話に障害があると、「電話接続の方法を知らない愚か者を銃殺すると脅せ」とスターリンに伝えている{{Sfn| セベスチェン| 2017 |p=下237}}。
 
ジャーナハンガストー出身の歴史家・伝記作家の{{ill2|ヴィクター・セベスチェン|en|Victor Sebestyen}}によれば、レーニンはスターリン、[[毛沢東]]、[[ヒトラー]]とは違って、自分が犠牲にした人物の死の詳細を味わったりはしなかったが、レーニンにとって死とは理論的なもので、数字にすぎなかった{{Sfn| セベスチェン| 2017 |p=上12}}。セベスチェンによれば、レーニンは他の独裁者が好んで着た制服や軍服を着なかったが、敗れた相手に寛大さを示したり、人道的行為を行うことも、政治的に役立たない限り、なかった{{Sfn| セベスチェン| 2017 |p=上12}}。レーニンは大きな目的のためなら敵に対する政治的テロは正当化されるという思想に基づく体制をつくりあげ、この体制を完成したのがスターリンであり、レーニンが作り出した[[悪]]の最たるものは、スターリンを指導者の地位に残したことだったとセベスチェンは指摘する{{Sfn| セベスチェン| 2017 |pp=上12-13}}。
 
;同時代人による評価